ゲヴォルク・ワルタニャン
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ゲヴォルク・ワルタニャン(Геворк Вартанян;1924年2月17日 - )は、ソ連の職業的諜報員。退役大佐。コードネームは、アミール(Амир)。イラン系。ソ連邦英雄。
ロストフ・ナ・ドヌに生まれる。父親のアンドレイ・ワルタニャンはイラン国籍で、バター工場長だった。1930年、一家は、ソ連諜報部の密命を帯びてイランに出国した。アンドレイは商業活動をカバーにして、イラン国内にエージェント網を作り上げた。息子のゲヴォルクも、父親の影響を受けて諜報員となることになった。
1940年2月、ゲヴォルグは、駐テヘランNKVD支局と接触し、イラン国内のドイツ諜報員の摘発に関するグループを率いた。彼のグループは、2年間だけで約400人のドイツ諜報部関係者を特定した。
1942年、更に複雑な任務がゲヴォルグに付与された。当時、イギリスとソ連は同じ連合国側だったが、ソ連に対する破壊工作を継続していた。イギリスは、テヘランに破壊工作学校を設立し、ロシア語を話す青年を集めて、事後のソ連潜入工作を準備していた。中央の指令により、ゲヴォルグはこの学校に潜入し、学校と生徒に関する詳細な情報を入手した。後にソ連に潜入したイギリスの工作員達は、無力化されるか、ソ連側に再徴募されることとなった。1943年11月~12月のテヘラン会談出席者の安全の保障にも参加した。
1951年、ソ連に帰国し、エレバン大学外国語学部を卒業。その後、1992年までイリーガルとして世界各地で活動。
[編集] パーソナル
妻のゴアル(Гоар)も、イリーガルであり、30年以上夫婦で諜報活動を行った。ゴアルは、赤旗勲章を受章。1986年秋に引退。