サロス周期
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サロス周期(-しゅうき、Saros cycle)とは、日食や月食が起こる日を予測するのに用いられる周期である。単にサロスと呼ぶこともある。1サロス周期は 6,585 + 1/3 日(約18年10日8時間)である。1サロスごとに太陽と地球と月が相対的にほぼ同じ位置に来るため、ある日食または月食から1サロス後にはほぼ同じ条件の日食または月食が起こる。
例えば、1999年8月11日にヨーロッパを中心とする皆既日食が起こったが、これとほぼ同じ条件の日食が2017年8月21日に見られる。サロス周期には 1/3 日という端数が含まれているため、1サロス後の日食は地球の 1/3 回転分、すなわち120度西にずれた位置で起こる。よって上記の2017年の日食は北アメリカを中心とする地域で見られる。
サロス周期は古代の天文学者によって発見され、計算法が簡単だったために広く使われていた。唯一の問題は、1サロス後の食が約8時間遅れて起こることであった。これは日食の場合には、現象を見られる地域が地球 1/3 周分だけ西にずれることを意味する。よって、ある日食が見られた地域のほとんどの場所では、その1サロス後の日食は見ることができない。(月食の場合には、月が地平線上に上ってさえいれば1サロス後の月食も見ることができる。)そこで、より長い3サロス分の周期(54年31日)を「トリプルサロス」あるいはギリシャ語で exeligmos と呼び、この周期がよく用いられた。1 exeligmos 後にはほぼ同じ場所で食が見られることになる。
天文学的には、サロス周期は月と太陽の周期の倍数が同じ(公倍数)になるために起こる。1サロスは以下の時間に等しい。
- 223 朔望月(新月から次の新月までの周期)に等しい。
- 242 交点月(月が昇交点を通過する周期、すなわち月が地球の軌道面と2回交差する周期)にほぼ等しい。
- 239 近点月(月が近地点を通過する周期、すなわち月が楕円軌道を公転する周期)に等しい。
- 18 近点年に等しい。
このため、食の条件も1サロス前と非常に似たものとなるのである。(太陽と月の合または衝が月のどちらかの交点で起こる、すなわち月が軌道面と交差するところで合または衝になる時に食となる。)
1サロス周期は223朔望月なので、ある朔(または望)を1番目とすると、そこから数えて223番目までの朔(望)はみな異なる周期に属する。224番目の朔(望)は、1番目と同じ周期に入る。同時進行している223の周期のうち、太陽、地球、月がうまく重なるものは一部しかない。その一部も毎回少しずつ場所がずれていき、やがて食を作らなくなる。その一方で、今まで食を作らなかった周期が食を作るようにもなる。
歴史時代に日食を作ったサロス系列には、van den Bergh (1955) によって番号が付けられている。2003年現在、117から155までの番号を付けられた39個の周期が進行していて、現在起こる日食はこれらのいずれかに属している。日食のサロスの系列は食が69~86回(1,226~1,532年間)起こるまで持続する。平均すると77回(1,370年間)である。サロス系列の始まりと終わりは部分日食で、系列の中ほどに約48回の皆既食または金環食を含む。
月食の場合、現在は41本の系列が進行している。月食のサロス系列は食が71~87回起こるまで(1,262~1,551年間)持続する。平均すると日食の系列よりは短く、72回(1,280年間)である。このうち40~58回が皆既食となる。
サロス周期はおそらくカルデア人(古代バビロニア地方の天文学に長けていた人々)には知られていたと考えられ、後にヒッパルコスやプリニウス、プトレマイオスにも知られるようになったが、彼らはこの周期をサロスという名前では呼んでいなかった。バビロニア時代のサロスという語は3,600年という別の周期の呼び名として使われていた。サロスを食の周期の名前として最初に使ったのはエドモンド・ハレーで、1691年のことであった。彼はスーダ (Suda) という11世紀のビザンツ帝国の辞書からこの語を採った。ハレーのこの誤りは1756年にフランスの天文学者ルジャンテルによって指摘されたが、サロスという用語はそのまま使われ続けた。
[編集] 参考文献
- G. van den Bergh, Periodicity and Variation of Solar (and Lunar) Eclipses, 2 vols. H.D. Tjeenk Willink & Zoon N.V., Haarlem, 1955