シモン・エピスコピウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シモン・エピスコピウス(Simon Episcopius,1583年1月1日-1643年4月4日)は、オランダの神学者。
ライデン大学でアルミニウスの指導を受け、その後彼の教説を体系化し、この一派の指導者となった。師であるアルミニウスより遙かに進んで、二重予定説を否定するだけではなく、三位一体も象徴的なものとしてしか認めず、キリストは道徳の模範にすぎない、という見解を持つ。
1610年にブレースヴィクの牧師、1612年にライデン大学教授となる。1618年ドルトレヒト会議にレモンストラント派の代表として召喚され、多数派である改革長老教会側の論敵に非難され、オランダの改革長老教会から除名の上、国外に追放された。1626年に許されて帰国後、アムステルダムにアルミニウス主義の教会をおこし(1630年)、1634年にはアルミニウス主義の大学で最初の神学教授に選ばれた。
主著に『Confessio 告白』(1621年)、『Apologia 弁明』(1629年)がある。