ジェラルド・ゴルドー
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ジェラルド・ゴルドー(Gerard Gordeau、1959年3月30日 - )は、オランダ出身の総合格闘家、プロレスラー。身長198cm、体重100kg。
[編集] 経歴
恵まれた体格を生かし、空手を始める。極真空手の大会で来日を果たしたのち、日本のK-1、リングス等で活躍する。現在はオランダでドージョー・カマクラというジムを持ち、プロレスラーとして試合をこなしている。バウンサー(用心棒)としての習性か、喧嘩ファイトが身売り。とにかく反則が多く、しかもそれを冷静に確実に仕掛けてくる分始末が悪い。初期のUFCのような、ほぼ制約が無きに等しい場であっても最低限のルールを守らないため、選手としての評価は極めて低い。
リングスに参戦し、佐竹雅昭と対戦した時は、ラウンド終了直後に佐竹の軽い攻撃に怒り、ラウンド間に顔面パンチ(リングスでは素手のため禁止)、サミングを繰り出し、後ろを向いた佐竹をさらにメッタ打ちにした。
第1回UFC大会では、元力士のティラトゥリと対戦した。突進するトゥリをかわし、転んだトゥリの顔面に躊躇なくサッカーボールキック、さらにひるんで仰向けになったトゥリに素手での顔面パンチという残虐な勝利を収める(初期UFCルールでは合法)。この試合は初期UFCを象徴するシーンになった。また、この試合でゴルドーは足の甲に相手の歯が突き刺さる怪我を負う。決勝ではホイス・グレイシーに敗北。後ろから裸絞めを狙うホイスに向かってサミングを繰り返した。ホイスはこの行為に激怒し、レフェリーストップ後もゴルドーを絞め続けた。
「バーリ・トゥード・ジャパン95」では、レフェリーの制止を無視して中井祐樹に故意のサミングを繰り返した。この結果、中井祐樹は右目を失明し、総合格闘家として活動することは不可能になった(現在は柔術家として活躍)。この試合で、ゴルドー自身も格闘家としての選手生命を絶たれたともいえる。
一方プロレスのリングにおいては、空手を武器にUWF、新日本プロレス、ZERO-ONEを主戦場にしていた。前田日明の異種格闘技戦(1988年)、アントニオ猪木の引退カウントダウン(1995年)の相手を務めたことでも有名。ファイトスタイルがこれらの団体に受けが良いからか、特に猪木、橋本真也からの評価は高い。
現在はプロレスラーとして来日するケースが多いが、格闘技の試合は全くない。
90年代初頭に背中から肩にかけて刺青を背負う。いわゆる西洋風のタトゥーではなく、いわゆる日本ヤクザの入れる紋々をビッシリと入れている。
兄のニコ・ゴルドーも格闘技の選手だった事があり、ケンドー・ナガサキと格闘技ルールで対戦した事がある。
食べ物ではドジョウが苦手。過去にUWF参戦のため来日した時に前田にドジョウ鍋の店に連れて行かれ、生きたドジョウをそのまま鍋に入れる様子を見て「これは人類の食べ物ではない」と思ったという(参考:別冊宝島243『プロレスを変えた野郎ども』)。
カテゴリ: オランダの総合格闘家 | 1959年生