ジャン・ブロ (弁護士)
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ジャン・ブロ(Jean Belot, 生没年未詳)は、17世紀フランスの弁護士。ブロワの出身で、ルイ13世の治世下に枢密院の弁護士をつとめた。
彼は、科学的な知識が(ラテン語以外の)日常的な言語で広く伝えられることに反対し、そうした知識は限られた人間のみが保持すべきだ、という考えを持っていた。このため、枢密院やアカデミー・フランセーズのメンバーらとも思想的に対立した。
彼の名は、その思想の発露である『ラテン語の弁護 Apologie de la langue latine. 』(パリ、1637年)を出版したことによって、(悪い意味で)広く知られることになった。これは60ページほどの小さな本であったが、全くの的外れな著書として当時話題となり、多くの嘲弄を浴びせられることになった。そうした反応の中では、ジル・メナージュが著した風刺詩が特に知られている。彼はほかに『フランス、あるいは完璧な王政 La France, ou la Monarchie parfaite 』なる著作の刊行も予告していたというが、実際に刊行されたかは定かではない。