神秘主義
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神秘主義(しんぴしゅぎ)とは、人智の及ばない事物(神秘)が存在するとする考え方である。英語の mysticism の訳語にあたるが、 mysticism は、この立場での神学や哲学を指すこともあり、この場合は神秘主義思想、あるいは神秘思想と訳される。
神秘主義思想には、神秘を体験するための技法や体系などを含むが、合理的、科学的な手法を批判的に捉える傾向がある。だが、自然科学で得られた知見を体系に取り入れることも、また多い。
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[編集] 神秘
神秘とは、人間がその知識や能力をもってしても全容を把握する(=知る)ことができない事物のことで、神や、「究極の真実」「霊的世界」などがこれに含まれる。
人間は、一般的な事物について、それを言葉などで表現して伝えることができる。だが、神秘は、人間が把握している既存の事物との関連で表現することができない。すなわち、神秘は三次元的な科学的経験、あるいは法則として知覚することはできず、霊的世界などを直接体験したり、間接的に認識することによってのみ、知ることができる。
例えば、光を見たことのない盲人に、光を見るのがどんな感じなのかを伝えることは難しい。光を見るという体験を、その他の感覚、聴覚や触覚、味覚、嗅覚で説明することはできない。神秘とは、そのようなものだといわれる。
また、体験することも知ることもできない神秘が、最終的に残るとする考え方もある。
[編集] 神秘を知る
神秘を直接知るための技法や、神秘の周辺にある知識の体系は、多くの場合、呪術的世界観や、あるいは過去の宗教の一部となって知られている。
例えば、仏典によれば、仏教において「悟り」を直接体験によって得た神秘家もいたと解釈できる。あるいはキリスト教においては、「神との合一」や「キリスト体験」などを直接体験した聖者もいたという。また、「自分は何なのか?」という哲学的問いに、神秘体験によって答えを得た者もいるとされている。
このように、宗教は神秘と結びついているため、神秘を直接知った人物(神秘家)によって宗教が興されることもある。また、神秘家によって与えられた技法や体系から宗教が作られることもある。
神秘は協力者なしでも知ることができるが、神秘家の協力があるとより容易になるといわれる。但し、他者が協力できるのは、あくまでその準備だけであり、準備が整った後は、神秘を知る機会が偶然に訪れるのを待つしかないともいわれる。神秘を知るのは、その準備が役立ったことによる場合が多いが、準備なく偶然に機会が訪れ、神秘を知るに至った人々もある。