スリジャヤワルダナプラコッテ
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スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(シンハラ語:ශ්රී ජයවර්ධනපුර කෝට්ටේ、タミル語:ஸ்ரீ ஜயவர்த்தனபுரம் கோட்டே、英語:Sri Jayewardenepura Kotte)は、スリランカの首都。名称が長いため、コッテ(Kotte)と略されることもある。同国西部に位置する旧首都コロンボ(Colombo)の中心部から東に約15キロの地点に位置している。「スリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテ」と表記することもある。
1985年にコロンボから遷都されたが、現在のところ、国会議事堂、森林局など一部を除き、首都機能の大半はコロンボから移転していない。
人口は115,826人(2001年)であるが、市街地はコロンボから連坦しており、事実上コロンボ郊外の一角を市域とする都市である。人造湖の中心に立地している。
[編集] 歴史
1372年、コッテ王国の都となった。この頃は、「ジャヤワルダナ」(勝利をもたらす、の意)と称されていた。その後、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地支配を受けた。植民地時代は「コッテ」と称されていた。1977年、コロンボから首都機能をコッテへ移転する計画が示され、1983年に国会議事堂が完成した。当時のジャヤワルダナ大統領が、かつての都の名称と自分の名前が同じだったため、旧名を復活させた。そのため、街の正式名称が「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」(聖なる・勝利をもたらす都市・コッテ)とされた。1985年、コロンボからの遷都が正式に発表された。名称の由来は、「スリ(光り輝く)・ジャヤワルダナ(初代大統領名)・プラ(街)・コッテ(元々の街の名前)」である。なお、国会議事堂は、人造湖の中央に位置する島に立地している。
[編集] 日本との関係
日本の無償協力プロジェクトによって、スリ・ジャヤワルダナプラ病院が建てられた。約1000床のベットを有し、現地の医療に大きく貢献している。 人造湖の周囲をめぐる道路に、Sri Lanka Nippon Mawatha(スリランカ日本通り)という名称がつけられている。 また、嘉門達夫が替え唄メドレーやその他のギャグソングで使用したことがある。嘉門は「スリジャヤワルダ ナプラコッテ」と区切って発音した。