センチメンタル・シティ・ロマンス
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センチメンタル・シティ・ロマンス | ||
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基本情報 | ||
愛称 | センチ | |
出身地 | 愛知県名古屋市 | |
ジャンル | ロック | |
活動期間 | 1973年- | |
レーベル | CBSソニーレコード(1975-1976) キティ・レコード(1977-1979) コロンビア・レコード(1979) ベターデイズ(1979) ポリドール(1982-1986) ビデオアーツ(1993) BET-TALIS(2004) GT music(2005) ユニバーサルミュージック(2005) |
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メンバー | ||
(オリジナルメンバー) 告井延隆(Vo/G) 中野督夫(Vo/G) 細井豊(Vo/key) (サポートメンバー) 野口明彦(Ds/Cho) 瀬川信二(B/Cho) |
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旧メンバー | ||
(ベース) 加藤文敏(1973-1976) 久田潔(1976-1999) (ドラムス) 田中毅(1973-1975) 野口明彦(1975-1980) 前田直人(1980-1983) 近藤文雄(1983-1993) (パーカッション) 本多タコ坊(サポートメンバー) |
センチメンタル・シティ・ロマンス(SENTIMENTAL CITY ROMANCE)は1973年に結成された日本のロックグループ。通称「センチ」。名古屋のロックバンドとして1973年の結成以来、現役で活動を続けている息の長いグループである。またバックバンド、スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアの豊富さもこのバンドの特徴で、センチメンタル・シティ・ロマンスとして、またメンバーが個別にサポートしてきたアーティストは数えあげたらたらきりがない。
目次 |
[編集] 来歴
- 1973年3月、中野督夫、細井豊らの名古屋のロック・グループ「シアンクレール」に、東京で洪栄龍らと「乱魔堂」として活動していた告井延隆をリーダーとして迎えられるかたちでセンチメンタル・シティ・ロマンスはスタートした。結成当時のメンバーは告井延隆(G)、中野督夫(Vo/G)、細井豊(Key)、加藤文敏(B)、田中毅(Ds)の5人。
- 1974年、 九州、山陽、関西など西日本方面のコンサートに参加し、東京では池袋シアターグリーンでの「ホーボーズ・コンサート」へ出演。また6月には地元、名古屋で初めてのリサイタルを開催し、8月に郡山市で行われた「ワン・ステップ・フェスティバル」にも参加。脚光を浴びる。更に、自主コンサートとも言うべき「センチメンタル・パーティー」を定期的に開催する(1977年まで続く)など、 地味ではあるが確実な活動もしてゆく。尚「ホーボーズ」でのライブは1976年にキングから発売されたので、これが入手可能な最も古いセンチメンタル・シティ・ロマンスのサウンドである。
- 1975年5月、大阪で開かれた「第3回春一番コンサート」に出演。名古屋~中京地区でウェスト・コースト系の音楽を目指し活動。9月には日本武道館で開かれた「Aロック・コンサート全国大会」に優勝してアマチュア・ロック・グループとして最高の栄誉を得ている。8月、細野晴臣がアドバイーザー(クレジットはChif Audience)として関わったファースト・アルバム「センチメンタル・シティ・ロマンス」がCBSソニーレコードより発表。この直後、メンバーは名古屋市長よりロスアンジェルス市長へのメッセージを携えて渡米。帰国後、ドラムスが野口明彦(元シュガーベイブ)に変わっている。この年、全国主要都市コンサート・ツアーを行う。また、名古屋を中心に活動していたシンガーソングライターいとうたかおのシングル「ラブソング/こんなに不安なんだよ」のレコーディングに参加。
- 1976年8月、セカンド・アルバム「ホリディ」を発表、この年、ベーシストとして久田潔が参加する。その後VAN、グンゼ、講談社などのCMも手がけ、オーバーグランド指向を見せ始める。
- 1977年春、CBSソニーを離れ、キティ・レコードへ移籍、12月にサード・アルバム「シティ・マジック」を発表。
- 1978年夏、名古屋森林公園での「フリー・コンサート」で、センチメンタル・シティ・ロマンス6年間のレコーディング及びステージ総決算とも言えるライヴを収録。
- 1979年春、キティ・レコードよりコロムビア・レコードに移籍、角川映画「金田一耕助の冒険」サウンド・トラックを担当し、7月に発表、同時に前年録音したライヴ・アルバムも発表する。8月、5枚目のオリジナル・アルバムをバンド結成以来の夢でもある、地元名古屋のスタジオに於いてレコーディング。9月に完成。11月25日、初の名古屋レコーディング・アルバム「歌さえあれば(We Like Music)」を発表。
- 1980年1月~1982年、この間東京・名古屋・広島・福岡などでライブ活動及び加藤登紀子・岡林信康・竹内まりやなどのライヴ及びレコーディングで活躍。80年にはドラムが前田直人に代わっている。
- 1982年4月28日、名古屋市民会館で10周年記念コンサート。5月25日アルバム「スマイリング」を発表。また、結成10周年記念コンサート・ツアーとして、名古屋・大阪・仙台・金沢でコンサートを開く。9月、元ドゥービー・ブラザーズのジェフ・バクスターの参加を得て、アルバムをレコーディング。11月25日、アルバム「ダンシング」シングル「ターニング・ポイント」を発表。
- 1983年、ドラムスを近藤文雄にチェンジ。アルバム「はっぴいえんど」を発表。7月より名古屋・大阪・東京でコンサート・ツアー。
- 1984年、2月1日シングル「ゴーイング・バック」を発表。6月5日アルバム「リラックス」を発表。
- 1985年、名古屋市芸術奨励賞を受賞。中島みゆきのアルバム、レコーディング。
- 1986年、アルバム「サマー・デイズ(夏の日の思い出)」を発表。NHK銀河テレビ小説「清水港ストーリー」主題歌「デイ バイ デイ」を提供。
- 1987年、EPOレコーディング。遠藤京子レコーディング。日米市長会議マルチスライド音楽担当。
- 1988年、楠瀬誠志郎ステージサポート。鈴木雄大ステージサポート。薬師丸ひろ子ステージサポート。全国ツアー及び台湾ツアー。新井正人レコーディング。
- 1989年、世界デザイン博覧会(名古屋)テーマ館 音楽担当。
- 1990年、薬師丸ひろ子ステージサポート。全国ツアー。
- 1991年、加藤登紀子「ファシネーション」レコーディング。フジテレビ ドラマ「101回目のプロポーズ」音楽。
- 1992年、わかしゃち国体(愛知)キャンペーンソング。 名古屋市芸術創造センターにて細井ソロコンサート「Music Wander Land」を行う。
- 1993年、センチメンタル・シティ・ロマンス20周年メモリアル・ライヴ、CD、レーザーディスク、ビデオをビデオアーツより発表。
- 1994年、加藤登紀子のエジプト・カイロツアーに参加の後、パリにて加藤登紀子のアルバム「花」レコーディング参加。
- 1995年、加藤登紀子のビデオ「花咲く頃に」に参加。パリにて加藤登紀子コンサートに参加。山崎ハコレコーディング。
- 1998年、 25周年記念LIVE を名古屋(5月)、東京(7月)で行う。
- 1999年2月、名古屋、大阪、神戸で小ツアー。
- 2003年、中野督夫2ndソロアルバム「夕方フレンド」発表
- 2004年1月、30周年記念アルバム「30 years young」を発表
- 2006年、元かぐや姫のメンバーである伊勢正三と「伊勢正三withセンチメンタル・シティ・ロマンスLIVE2006」を実施
20周年メモリアルライブの後、近藤(Ds)が脱退、その後、久田(B)も脱退。現在は、告井、中野、細井の3人を中心に、サポートメンバーとして元メンバーの野口(Ds)、瀬川信二(B)が加わって活動を行っている。
[編集] ディスコグラフィー
- 「センチメンタル・シティ・ロマンス」(1975年8月)(CBSソニーレコード)
- 「ホリディ」(1976年8月)(CBSソニーレコード)
- 「シティ・マジック」(1977年12月)(キティ・レコード)
- 「センチメンタル・ライヴ」(1979年8月)(キティ・レコード)
- 「金田一耕助の冒険(サントラ)」(1979年7月)(コロンビア)
- 「歌さえあれば」(1979年11月)(ベターデイズ)
- 「SMILING」(1982年5月)(ポリドール )
- 「DANCING(1982年11月)(ポリドール )
- 「はっぴいえんど」(1983年6月)(ポリドール )
- 「リラックス」(1984年6月)(ポリドール)
- 「なごやかに なごやかに」(1984年12月)(ポリドール)
- 「夏の日の想い出」(1986年7月)(ポリドール)
- 「S.C.R. 20TH MEMORIAL LIVE」(1993年)(ビデオアーツ)
- 「30 years young」(2004年1月)(BET-TALIS)
- 「GOLDEN☆BEST」(2005年8月)(GT music)
- 「センチメンタル・シティ・ロマンス ライブ 30years young」(2005年10月)(ユニバーサルミュージック)