ティン・パン・アレー
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ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)とは、
[編集] ティン・パン・アレー (地名)
ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)とは、もともとはアメリカ合衆国ニューヨーク市はマンハッタンの28番通りの一角を表す地名である。
この地名で呼ばれる辺りは、1800年代後半にブロードウェイのミュージカルの音楽に関係する会社(レコードの普及前であり、当時の音楽に関する主たる商品は楽譜であった。このため、ここでいう会社は、楽譜出版社、演奏者のエージェント)が集まっていた。
それぞれの会社で、楽曲の試演を行っていたため、まるで鍋釜でも叩いているような賑やかな状態だった。このことから、この名前(Tin Pan Alley, 錫鍋小路とでも訳すべきか?)がついた。
- ジョージ・ガーシュウィンは、15歳頃、ティン・パン・アレーで楽譜を客に試演する仕事をしていた。
- 千葉県浦安市にある東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントに、同名の通りがある(街中に「TIN PAN ALLEY」と書かれた看板が掲げられている)。この付近は周囲に仕込まれたスピーカーから様々な楽器の演奏が流れており、当時の様子を再現している。
- また、この通りとジョージ・ガーシュウィンのことが、2006年4月16日に日本テレビ系列で放送されている『東京ディズニーシープレゼンツ「夢の通り道」』という番組で紹介された。
[編集] ティン・パン・アレー (バンド名)
ティン・パン・アレー(バンド名)は、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆(、後に佐藤博)からなる音楽ユニットであり、上記の地名から取った名称。
オリジナルとしては、『キャラメルママ』(1975年)と『TIN PAN ALLEY 2』(1977年)の2枚のアルバムを発表した。
このユニットは「ロックバンド」というよりは、「音楽プロデュースチーム」としての色彩が濃く、2枚のオリジナルアルバムよりも、荒井由実、雪村いづみ、いしだあゆみなどの演奏とプロデュースが目立つ。