タトラ T600 タトラプラン
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タトラ T600 タトラプランは、タトラ社の乗用車。
タトラプランは流線型のモノコックボディの6人乗りサルーン、空力抵抗係数(Cd値) 0.32、空冷水平対向4気筒(フラットフォー)1,952ccのリアエンジン車で、6,342台が生産された。うちムラダー・ボレスラフ(Mlada Boleslav)で2,100台が生産された。
第二次世界大戦ののち、タトラ社は生産を継続した。工場はソ連の接収後1948年に国有化された。戦前のモデルで生産を再開したが、Josef Chalupa、Vladimír Popelář ハンス・レドヴィンカにより1946-47にT600が新たに開発された。T600にはタトラプラン(Tatraplan)という名前がつけられたが、これは共産主義の計画経済を祝した名称だった。'Ambrož' (1946年12月)、'Josef' (1947年3月)という2種の試作車が製作されたのち1948年に大量生産された。1951年には国からムラダー・ボレスラフのシュコダの工場で生産すると決定されタトラ社はトラック生産に集中することとされた。双方の工場の従業員にとっておこなったことのない 生産を強要されることとなった。結果的にシュコダでは1年間しか生産せずタトラプランは1952年に生産を終了した。