ダルガチ
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達魯花赤(ダルガチ)とは、初期のモンゴル帝国と元における官職名。占領地の統治官、行政長官としての業務を行う。もともと、モンゴル帝国大ハーン(大汗、皇帝)の地位に就いたチンギス・ハーンが、占領した宋及び中央アジアの各地域に大ハーンの代官として設置したもの。その主な任務は、徴税、戸口調査、駅伝事務、民政一般、治安維持などである。クビライ・ハーンにより元が成立すると、その行政組織の中で正式に制度化され、地方行政官庁などに必ず置かれた。元の行政では人間集団ごと(モンゴル人、西域人(色目人)、漢人など)による階級差別(注※)が存在しており、この達魯花赤に任命されるのはほとんどモンゴル人、稀に西域人で、漢人が任命されることはなかった。
(注※)ただし、この差別は人種や民族によるものというよりも、個々の人物が属する集団、共同体がどれだけチンギス・ハーン家と親密な絆にあるかによる階層分けである。西域人や漢人に出自する集団で、チンギス・ハーン家、あるいは中でもクビライ家との特別な関係により、モンゴル人、というよりはモンゴルという支配階級集団の一員とみなされている例も多い。そのため、有名なモンゴル人、色目人、漢人、南人の4階級の差別は同時代的史実を的確に捉えたものとは言えず、現代人の想像する人種差別、民族差別とは本質的に異質なものである。日本人に理解しやすい類似概念を挙げるとすると、江戸時代の徳川将軍家との絆の親密度に応じた親藩、譜代、外様の別にかなり近い。