ダーシーズホワイトターク系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
父系 |
---|
ゴドルフィンアラビアン |
バイアリーターク |
ダーレイアラビアン |
その他
|
ファミリーナンバー |
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29-51 A1-37 B1-26 C1-35 |
ダーシーズホワイトターク系(-けい、D'Arcy's White Turk Line、又はセドベリーターク系)は、初期のサラブレッドに存在した父系の1つ。17世紀後半に輸入されたダーシーズホワイトタークの父系子孫のことを指す。18世紀前半にはベイボルトンやフォックスなどが出て一時主流ともいえるほどに繁栄したが、エクリプス系やヘロド系伸長の影響で19世紀前半に滅びた。
[編集] 歴史
ダーシーズホワイトターク(D'Arcy's White Turk)はシリアのアレッポから1675年ごろ輸入されたアラブ系の馬の1頭で別名セドベリーターク(Sedbury Turk)。芦毛の馬体からスノーボールと呼ばれていたという。また、プレースズホワイトタークと同一であるとか、父親はヘルムルズリータークと同定する事もあるが、これには諸説あり定かではない。
このダーシーズホワイトタークの最も重要な産駒はオーボエであった。オーボエ(オールドオーボエ)はいくつかのマッチレースに勝った記録が残っている。このオーボエの産駒にグレイオーボエとクラムズィーがいる。クラムズィーはフォックスの父である。フォックスはフライングチルダーズとも走った経験があり、そのマッチレースでは負けたものの、全11勝、当時としては巨額の2000ギニーのマッチを制すなど活躍した。フォックスも種牡馬として成功、息子のカプも活躍しスナップの母の父としても知られているが、直系は発展しなかった。
一方グレイオーボエの産駒にはベイボルトンがいる。ベイボルトンはアン女王のゴールドカップを制す等当時の最強馬として鳴らし、種牡馬としては通算で8度のリーディングサイアーになり、ダーシーズホワイトターク系を発展させた。ベイボルトンの産駒にはフェアノート、スターリング、ルービー、スロヴェン等の強豪馬が多数いる。さらにダーシーズホワイトターク系は(オールド)スターリングの子孫によって継承されていくが、徐々に後の三大始祖の系統に押されていき、19世紀前半にアメリカ合衆国での末裔を最後にダーシーズホワイトターク系は姿を消した。これをもって三大始祖の成立となる。
[編集] サイアーライン
- Darcy's White Turk 1675輸入?(別名 Sedbury Turk)
- |Hautboy 1690
- ||Old Wyndham 1704
- |||Cinnamon 1722
- |||Greylegs 1725
- ||Clumsey 1705
- |||Fox 1714
- ||||Cub 1739
- ||||Bolton Goliah 1736
- |||||Hunt's Jigg 1741
- ||||Merry Andrew 1739
- |||Fox Cub 1714
- ||||Dunkirk 1726
- ||Grey Hautboy 1698
- |||Bay Bolton 1705
- ||||Fearnought 1725
- ||||Looby 1728
- ||||Patriot 1729
- ||||Bolton Starling 1727
- |||||Torismond 1739
- |||||Skim 1746
- |||||Perseus 1754
- ||||||Bay Richmond 1764
- |||||||Clockfast 1780 米輸出
- ||||||||Jones' President 1788
- |||||||||Bay Yankee 1798??
- ||||||||||??
- ||||Godolphin's Whitefoot 1719
- |||Lamprie 1716