トゥルゴヴィシュテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トゥルゴヴィシュテ(Târgovişte)はルーマニア南部、ワラキア地方・ドゥンボヴィツァ県 Dâmboviţa の県都。ヤロミツァ川の右岸にある。
[編集] 人口
[編集] 歴史
文献に初めて登場するのは1396年で、アンゴラの戦い(1402年)で活躍したドイツ人騎士ヨハネス・シルトベルガー (Johannes Schiltberger) の旅行記に登場する。
その後、町はワラキア公国の首都となる。ミルチャ大公の治世には、宮殿が建造されたと思われる。また、町の観光シンボルであるキンディア塔は、ヴラド・ツェペシュ(Vlad Tepes)が建造している。
また、ミハイ公(Mihai Viteazul)が1597年にこの地でトルコと戦い、勝利している。
コンスタンティン・ブルンコヴャーヌが首都のブカレストに移動した後、トゥルゴヴィシュテは没落し、人口は減少した。
トゥルゴヴィシュテは、1989年12月のニコラエ・チャウシェスクとその妻エレナ・チャウシェスクの裁判と処刑の場所となった。
[編集] 外部リンク
トゥルゴヴィシュテ(Търговище)はブルガリア北東部の町。そもそも、スラブ語で市場を示す地名であり、いたるところにあって不思議ではない。