ニッキー・シックス
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ニッキー・シックス(Nikki Sixx)は、モトリー・クルー(Motley Crue)のベーシスト、リーダーでもあり、 ロック界の反逆児でもある。
作詞の才能に秀でており、自身の体験から綴るリリックで多くの名曲を生み出している。他にも実験的にバンドを結成し、58や、Brides Of Destructionでアルバムを発表している。
[編集] バイオグラフィ
1958年12月11日、カリフォルニア州サンノゼのフランクリンに生まれ、Carlton Feranna Jr,として 幼い内に父親は蒸発したため、母親と、母親の、”乱暴なボーイフレンド”に育てられる。シックスが6歳の時、メキシコへ少しの間移住し、祖父母がいるアイダホに少し、その後また母親とエル・パソ、テキサスと移動し、ニューメキシコ州アンソニーの後、また祖父母のいるアイダホへ戻る。母親とはまた別に暮らすことになる。
そんな家庭環境から、10代になると破壊的になり、隣家に侵入したり、ドラッグを販売する為に学校から薬剤を盗んだりとしていた。彼の祖父母は手におえず、シックスを母親のいるシアトルへ送った。彼はそこに少しの間だけ住み、そこで楽器屋で盗んだギターを売って稼いだお金で、ベースを購入し学ぶ。
17歳になり、シックスはLAへ移住、酒屋と製造工場で働き、そこでSisterというバンドのオーディションを W.A.S.P.のブラッキー・ローレスと一緒に受ける。その後ロンドンというバンドを組んだがすぐにバンドを抜けその間に出会ったトミー・リー、ミック・マーズと共にMotley Crueを結成する。
当初は良いヴォーカリストが見つからず、中々良い感触が得られなかったが、Motley Crueは地元で着実に人気を博していく。ほとんどはシックスとトミーのルックスからくるものだった。ある日新聞広告にヴォーカリスト募集の記事を載せ、その頃同じくロック・キャンディというバンドで活躍していたヴィンス・ニールが応募してくるが、1回目のオーディションには現れず、2回目に開いたオーディションには遅刻して現れたが、その声が一番マッチしていると感じたためメンバーとして迎え入れた。メンバーのほとんどが当時はまだ10代の若さだった。その頃の模様は自伝「The Dirt」に詳細に書かれている。
アルコール、ドラッグ中毒になり、1987年12月23、ヘロインの過剰摂取により心停止を起し生死をさまよう。そんな状態のシックスを発見した2人に人物がいて、それが当時一緒にツアーをしていたガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュとダフ・マッケイガンだった(一説では発作直前まで一緒にヘロインを打っていたのはスラッシュで、びっくり仰天したスラッシュがダフに助けを求めたとある)。緊急医療によりなんとか一命を取り留めたが、それを気にヘロインから手を引くことを決意する。
1999年からはプロデューサーとして「LAIDLOW」「58」といったバンドのアルバム製作に携わる。「58」には自身もベースプレイヤーとして参加。自身のアクセサリーブランド「Outlow」からシルバーアクセサリーの販売も行う。
2002年には、元L.Aガンズのトレイシー・ガンズらと共に「Brides Of Distruction」を結成し来日もしている。
[編集] 特徴
指の関節に「1958」というタトゥーを入れている。
ベースはギブソン・サンダーバードを愛用、ベース弦に、ギターの弦がセットついているベースが特徴
[編集] 外部リンク
- Nikki Sixx official site
- Mötley Crüe official site
- Motley Crue Videos
- Motley Crue Hitsquad fansite
- Interview about Nikki Sixx early days
- Nikki Sixx - Internet Movie Database
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