パスカル・ツベルビューラー
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パスカル・ツベルビューラー(Pascal Zuberbühler、1971年1月8日 - )は、スイストゥールガウ州出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。スイスリーグ・ヌーシャテル・ザマックス所属、スイス代表。ズベルビューラー、ツーバービューラーなどと表記されることもある。身長197cm、体重98kg。
[編集] 経歴
1992年にスーパーリーグのグラスホッパー・クラブ・チューリヒに入団、2度リーグ戦を制し、UEFAチャンピオンズリーグにも出場、1994年にはスイス代表に初招集された。その後FCバーゼルを経て、2000年にドイツブンデスリーガのバイエル・レバークーゼンに移籍したが、正GKの座は獲得できず1年で解任された。その後スイスのFCアーラウに移籍したが、帰国直後に足を骨折する事態となってしまった。
このような状況の中、ツベルビューラーがグラスホッパーに在籍していた頃の監督であったクリスティアン・グロスがFCバーゼルの監督に就任し、ツベルビューラーを獲得、正GKに抜擢する。このため当初、マスコミや評論家などからグロスに対して批判がされたが、ズベルビューラーはその批判を跳ね返して骨折から見事に復活、2年目の2002年にはリーグを制覇した。そしてチャンピオンズリーグでは本戦に出場、グループリーグではユヴェントスに勝利し、マンチェスター・ユナイテッドやリヴァプールFCと引き分けるなど大健闘した。
このように、リーグでは大活躍していた一方で、スイス代表からは全く招集されていなかった。しかし、2004年のユーロ2004後、当時正GKだったヨルク・スティールが引退し、10年ぶりにスイス代表に招集、正GKに抜擢された。2006 FIFAワールドカップの予選当初はミスを連発していたが、その後本来の安定感が見え始め、アイルランド、イスラエルを抑え、フランスに次ぐ予選2位となる。その後プレーオフでも前回大会3位のトルコを破り、本大会の出場権を獲得した。
そして、本大会ではフランス、トーゴ、韓国を3戦連続無失点に抑え、見事グループリーグ1位となりスイスは決勝トーナメントに進出する。しかし、決勝トーナメント1回戦でウクライナにまさかのPK戦負けをし、ベスト16でスイスは姿を消した。しかも、この試合もツベルビューラーは無失点に抑えていたので、史上初の無失点での敗退となってしまった。しかし、逆に言えばツベルビューラーがいたからこそ、このような記録が出たのである。
その活躍が認められ、2006年7月、イングランドプロサッカーリーグのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンへの移籍が決まるが、わずか半年で母国に復帰した。
[編集] 所属チーム
- グラスホッパー・クラブ・チューリヒ 1992年 - 1999年
- FCバーゼル 1999年 - 2000年
- バイエル・レバークーゼン(ドイツ) 2000年 - 2001年
- FCアーラウ 2001年
- FCバーゼル 2001年 - 2006年
- ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(イングランド) 2006年 - 2007年2月
- ヌーシャテル・ザマックス(スイス)
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