パム・シュライバー
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女子 テニス | ||
金 | 1988 | ダブルス |
パム・シュライバー(Pam Shriver, 1962年7月4日 - )は、アメリカ・メリーランド州ボルチモア出身の元女子プロテニス選手。1978年の全米オープン女子シングルス準優勝者で、ダブルスの名手として一時代を築いた名選手である。WTAツアーでシングルス21勝、ダブルス111勝を挙げた。
1978年の全米オープンにて、16歳2ヶ月の若さでシングルス決勝進出を果たす。そこでクリス・エバートに 5-7, 4-6 で敗れて準優勝になったが、この時シュライバーは打球面の面積が広いテニスラケットを使用して大きな話題を呼んだ。この影響で「デカラケ」が一般テニス愛好家にも大流行し、国際テニス連盟(ITF)もテニスラケットのサイズに関する厳密な規定を設けた。シュライバー自身は4大大会のシングルス決勝進出はこの1度だけで終わったが、その後ダブルスで目覚ましい活躍を見せる。
1981年から1992年まで、シュライバーはマルチナ・ナブラチロワとペアを組み、天下無敵のダブルスとして女子テニス界に君臨した。2人のペアは4大大会ダブルスで「20勝」を挙げ、1983年のウィンブルドンから1985年の全仏オープンまで8大会連続優勝を飾り、1983年 - 1985年にかけて「109連勝」の記録を樹立する。前人未到の大記録は、1985年のウィンブルドン女子ダブルス決勝で止まった。シュライバー自身は1991年の全米オープンで4大大会ダブルス「21勝」を挙げたが、この時のパートナーはナターシャ・ズベレワ(ベラルーシ)であった。また、1988年のソウル五輪ではジーナ・ガリソンと組み、アメリカ代表として女子ダブルスの金メダルを獲得している。
シングルスでは1988年に日本の「東レ・パン・パシフィック・テニス」を含む4勝を挙げたが、同年10月にスイスで行われた「ヨーロッパ室内選手権」がシュライバーの最後のシングルス優勝になった。ダブルスでは1994年の東レ・パン・パシフィック・テニスと「全米ハードコート選手権」まで優勝記録がある。1997年2月に34歳で現役を引退し、現在はテレビ解説者として活躍している。2002年に国際テニス殿堂入りを果たした。
テニス仲間たちに対する気配りの良さでも知られ、1996年11月のWTAツアー選手権(当時の名称は「チェイス選手権」)会場で開かれた伊達公子選手のための「引退式典」はシュライバーが司会を務めた。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全豪オープン:7勝(1982年-1985年、1987年-1989年) [1986年の全豪オープンは開催せず。したがって大会7連覇]
- 全仏オープン:4勝(1984年、1985年、1987年、1988年)
- ウィンブルドン:5勝(1981年-1984年、1986年)
- 全米オープン:5勝(1983年、1984年、1986年、1987年、1991年)