全豪オープン
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全豪オープン(ぜんごうオープン、Australian open)は、テニスの4大国際大会(グランドスラム)のひとつ。毎年1月後半にオーストラリアのメルボルンで開催されている。
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[編集] 概要
会場のメルボルン・パークには、屋外・屋内あわせて26のコートがある。(クーヨン以前はグラスコート)センターコートは「ロッド・レーバー・アリーナ」、その脇にある1番コートは「マーガレット・コート・アリーナ」と、1969年のオープン化第1回大会の男女シングルスを制した偉大なオーストラリア人選手の名が冠せられている。2000年にはサブアリーナ「ボーダフォン・アリーナ」が完成した。ロッド・レーバー・アリーナとボーダフォン・アリーナは開閉式の屋根付きスタジアムであり、これは4大大会でここだけである。
全豪オープンは「エクストリーム・ヒート・ポリシー」(EHP, Extreme Heat Policy)が導入されている大会で、コートの外の気温が35度以上、湿球黒球温度が28度を上回った際に、主審が試合開始時間を遅らせることができるようになっている。屋根つきの「ボーダフォン・アリーナ」と「ロッド・レーバー・アリーナ」に関しては、屋根を閉めてプレーされることになる。
優勝カップは、男子シングルス優勝者には「ノーマン・ブルックス・チャレンジ・カップ」、女子シングルス優勝者には「ダフネ・アクハースト・メモリアル・カップ」が授与される。どちらにもオーストラリアの往年の名選手の名前が冠されている。表彰式の際に、オーストラリア名物であるカンガルーのぬいぐるみが優勝選手に授与されるのも、全豪オープンならではの光景といえよう。
全豪オープンは、開催時期の変更も多い大会である。クーヨン・テニスクラブで開かれた時代、1976年までは現在のような1月開催であったが、1977年に1月と12月、2回開催されたことがある。(1977年のスポーツを参照)そのため1978年から1985年まで、12月の年末に開催された時期があった。メルボルン・パークに会場を移転した1987年から、1976年までのような1月開催に戻り、現在に至っている。会場移転による開催時期の変更により(1985年12月 → 1987年1月)、「1986年全豪オープン」は“開催せず”の空欄となっている点にも留意しなくてはならない。
「シーズン開幕直後・真冬の北半球とは逆の真夏の大会・北半球の欧米諸国からの長時間&長距離の移動と時差」などの要因で、毎年の大会は上位選手の欠場や序盤での敗退が多い。このように、全豪オープンは他の3大会に比べて番狂わせの起こりやすい大会である。
日本でのテレビ放映権はWOWOWが保有している(テレビ東京による民放中継は、2001年まで男女シングルス決勝戦のみ放送があったが、2002年以後は取りやめになった)。
[編集] 歴史
- 1905年 - オーストラリアとニュージーランドの共同大会である「オーストラレージアン・テニス選手権」(Australasian Tennis Championship)として創設。最初は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみで始まった。第1回の男子シングルスはロドニー・ヒース(1884年 - 1936年)が優勝した。
- 1916年-1918年 - 第一次世界大戦のため、3年間大会開催中止となる。
- 1922年 - 女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門を創設。第1回の女子シングルスはマーガレット・モールズワース(1894年 - 1985年)が優勝した。
- 1927年 - 大会名を「オーストラリア選手権」と改称する。
- 1940年 - この年は1月に大会が行われたが、第二次世界大戦のため1941年-1945年まで開催中止となる。
- 1969年 - オープン化され、「全豪オープン」となる。開催都市は持ち回りで行われた。
- 1972年 - メルボルンで固定開催することになり、クーヨン・テニスクラブがその会場となった。
- 1987年 - 会場をメルボルン・パーク(正式名称フリンダーズ・パーク)に建設したナショナル・テニスセンターに移す。サーフェスも「リバウンド・エース」と呼ばれるハードコートになった。
[編集] 最近の優勝者
- 2007年 男子シングルス:ロジャー・フェデラー(スイス)、女子シングルス:セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)
- 2006年 男子シングルス:ロジャー・フェデラー(スイス)、女子シングルス:アメリ・モレスモ(フランス)
- 2005年 男子シングルス:マラト・サフィン(ロシア)、女子シングルス:セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)
- 2004年 男子シングルス:ロジャー・フェデラー(スイス)、女子シングルス:ジュスティーヌ・エナン・アーデン(ベルギー)
- 2003年 男子シングルス:アンドレ・アガシ(アメリカ)、女子シングルス:セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)
- [セリーナ・ウィリアムズは2002年全仏オープンからこの大会まで、テニス4大大会に4連勝を達成。2年にまたがるこの偉業を本人が“セリーナ・スラム”と命名した。4大大会4連勝はシュテフィ・グラフ以来6人目の快挙となる。]
- 2002年 男子シングルス:トーマス・ヨハンソン(スウェーデン)、女子シングルス:ジェニファー・カプリアティ(アメリカ)
- 2001年 男子シングルス:アンドレ・アガシ(アメリカ)、女子シングルス:ジェニファー・カプリアティ(アメリカ)
- 2000年 男子シングルス:アンドレ・アガシ(アメリカ)、女子シングルス:リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)
- 1999年 男子シングルス:エフゲニー・カフェルニコフ(ロシア)、女子シングルス:マルチナ・ヒンギス(スイス)
- [ヒンギスは大会3連覇]
- 1998年 男子シングルス:ペトル・コルダ(チェコ)、女子シングルス:マルチナ・ヒンギス(スイス)
- 1997年 男子シングルス:ピート・サンプラス(アメリカ)、女子シングルス:マルチナ・ヒンギス(スイス)
- [ヒンギスが「16歳3ヶ月」で4大大会史上最年少優勝記録を樹立]
- [セレシュが刺傷事件からの復活優勝を果たした大会。この時はアメリカ国籍に変わっていた。]
- 1995年 男子シングルス:アンドレ・アガシ(アメリカ)、女子シングルス:マリー・ピエルス(フランス)
- 1994年 男子シングルス:ピート・サンプラス(アメリカ)、女子シングルス:シュテフィ・グラフ(ドイツ)
- 1993年 男子シングルス:ジム・クーリエ(アメリカ)、女子シングルス:モニカ・セレシュ(ユーゴスラビア)
- [クーリエは大会2連覇。セレシュは大会3連覇、当時はまだユーゴスラビア国籍。この後4月30日にドイツで刺傷事件に遭った。]
- 1992年 男子シングルス:ジム・クーリエ(アメリカ)、女子シングルス:モニカ・セレシュ(ユーゴスラビア)
- 1991年 男子シングルス:ボリス・ベッカー(ドイツ)、女子シングルス:モニカ・セレシュ(ユーゴスラビア)
- 1990年 男子シングルス:イワン・レンドル(チェコスロバキア)、女子シングルス:シュテフィ・グラフ(ドイツ)
- [レンドルは大会2連覇、グラフは3連覇を達成]
[編集] 関連項目
- 全豪オープンテニス男子シングルス優勝者一覧
- 全豪オープンテニス女子シングルス優勝者一覧
- 全豪オープンテニス男子ダブルス優勝者一覧
- 全豪オープンテニス女子ダブルス優勝者一覧
- 全豪オープンテニス混合ダブルス優勝者一覧
[編集] 外部リンク
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