フリードリヒ・ヘルダーリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
![]() |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・ヘルダーリン (Johann Christian Friedrich Hölderlin, 1770年3月20日 - 1843年6月6日)は、ドイツの詩人、思想家である。
[編集] 生涯
ネッカー河畔の町ラウフェンに生まれる。3歳の時に父を亡くし1779年にはニュルティンゲンのラテン語学校に入学し1784年にデンケンドルフの下級僧院学校に入れられた。1786年にマウルブロンの上級僧院学校に進み、クロプシュトック、シラー、またオシアンの詩を読み、多くの詩を自らもつくる。ことに、シラーに関しては、彼の美学論文からも多大な影響を受ける。1787年南ドイツのテュービンゲン神学校で、ヘーゲル、シェリングと共に学ぶが、牧師にはならなかった。1794年頃にはイェーナに行きシラー、ゲーテ、ヘルダーを個人的に知るようになり、「断片ヒュペリーオン」がシラーの出している演劇評論に掲載された。家庭教師を経て、ホンブルク方伯の図書館司書を務める。のち統合失調症を発病し、その生涯の終わりを塔に幽閉されて過ごした。