ノート:プルガサリ
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>日本製作のゴジラと対比されることが多いが、本能の赴くまま破壊を繰り返す
>ゴジラと、主体思想に基づき民衆を救おうとするプルガザリとでは、
>もともと比較すること自体意味がないと考えられる。
民衆を救うこと自体はチュチェ思想と直接関係ないんじゃないでしょうか?プルガサリの民衆救済描写にチュチェ思想がどのように反映されているのか,ちゃんとした記述をしてほしいです。もし民衆を救うことそのものがチュチェ思想なら大魔神だってチュチェ思想ということになるでしょう。--221.119.28.208 2005年2月27日 (日) 02:58 (UTC)
同意。というか、テーマは違って当然なのでことさらにそれを取り上げて政治的な話にするのはいかがなものか…。っていうか、それをいうならゴジラだって本能なんかじゃなく日本人の反核思想の賜物だってことになると思う。--222.7.248.66 2005年7月17日 (日) 18:09 (UTC)
>諸外国に対し北朝鮮の特撮技術の高さを示した。
特撮スタッフを日本から呼び寄せた映画で、"北朝鮮の特撮技術の高さ"って言っていいんでしょうか? --Carl Daniels 2006年6月3日 (土) 20:34 (UTC)
- ▼プルガサリ見ましたが、チュチェ思想なんか出てきましたっけ? ゴジラと反核思想ほどにも関係ないと思うのですが、見落としがあったかな。▼「大々的に上映された」につづく流れで「諸外国に対し北朝鮮の特撮技術の高さを示した。」と書かれていたので「示した」「示す」ほうに力点をおいて読み、特に違和感を感じませんでした。「北朝鮮の特撮技術は高い」と書いてあったら問題でしょうけれども。しかし、特撮スタッフは全部日本人なんでしょうか? というのも、「北朝鮮の」という記述が適切かどうか以前に、プルガサリを見てもとうてい特撮技術が高いとは思えなかったもので。--Iosif 2006年7月2日 (日) 20:34 (UTC)
よくわからんのですが、「生まれたての頃のスーツアクターは××」の「××」って何なのでしょう。不明もしくは名前を出してはいけないのなら、最初から「大型化してからのスーツアクターは薩摩剣八郎。」の部分だけを書けば良いと思うのですが。履歴を見ると、最初からこういう書き方になっています。nnh 2007年3月3日 (土) 05:47 (UTC)
- 本作にプルガサリのスーツアクターとして参加している薩摩剣八郎著の『ゴジラが見た北朝鮮』では、「パンちゃん」という『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でミニラを好演した人物が、小さい頃のプルガサリを担当したとなっています。ただしこの本では、北朝鮮の日常等を扱っているため、当時の政治背景から登場する人物の名前は、一部仮名とされています。
- 『ゴジラの息子』のキャストでは、ミニラの担当は「小人のマーチャン」となっています。
- 以上のことから、「パンちゃん」=「小人のマーチャン」と考え、現在のように編集しました。しかし、小人という言葉が、差別用語に当たるかもしれない(グレーゾーン)ようなので、あとで編集しやすいように、本名も併記させて頂きました(「小人のマーチャン」の本名は、薩摩著の『ゴジラのなかみ』内に記述がありました)。もし問題があるようでしたら、議論の上で、「深沢政雄(『ゴジラの息子』等でミニラを担当した人物)」などと変更して頂いてもよいかと思います。--レインメーカー 2007年3月24日 (土) 11:02 (UTC)