ヘンリー・キャヴェンディッシュ
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ヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish, 1731年10月10日 - 1810年2月24日)は、イギリスの化学者・物理学者。1749年から1753年にかけてケンブリッジ大学に学ぶが学位はとらなかった。理由として、学位授与式における宗教上の問題を回避したためとされている。
イギリスの最高貴族デヴォンシャー公爵家の出身。寡黙でほとんど誰とも言葉を交わす事がなかったと言われる。1760年、王立協会会員。莫大な資産を持っていたが、政治的な名誉や経済的な成功は望まず、かえってそれが本人の資産をさらに増やす事になった。又、生活も大変に質素であった。王立協会の運営に尽力した。
キャヴェンディシュは1766年、水素を発見した。水素が可燃性の気体で、燃焼時に水を生じる事を証明した。同時に水が化合物である事を証明した。
1797年から1798年にかけて、いわゆる「キャヴェンディッシュの実験」を行い、地球の密度を測定し、その結果を1798年に発表した。後年の科学者は、この実験の結果と万有引力の法則から万有引力定数が算出できること気付いた。キャヴェンディッシュ自身は、万有引力定数を算出したわけではないが、今日では、この実験は、「地球の密度を測定した」というよりは、「万有引力定数を測定した」と捉えられていることが多い。
存命中は王立協会のフィロソフィカル・マガジンに18の論文を発表したに過ぎないが、未発表の原稿の中にクーロンの法則、他の実験記録が残された。死後70年ほどたった1879年に原稿を整理してマクスウェルが『ヘンリー・キャヴェンディシュ電気学論文集』として刊行した。発掘された原稿の中には、同時代あるいは後世の科学者の発見を先取り・同時進行していたものが多数見られた。例えば、オームの法則を、ゲオルク・オームより先に見い出していた。しかし、生前にその発見を公開していなかったため、時代に埋もれた発見の大部分は、他の人物によって再発見されることになった。
死後、キャヴェンディッシュを記念して、1871年、キャヴェンディッシュ研究所がケンブリッジ大学に作られた。