王立協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロンドン王立協会(おうりつきょうかいThe Royal Society of London)は、現存する最も古い学会。1660年設立。1782年創立の王立アイルランドアカデミーと密接な関係がある。1783年創立のエジンバラ王立協会とは関係が薄い。英語で単にThe Royal Societyという場合、先にできたロンドン王立協会を指す。
この会は任意団体ではあるが、科学に関する国民アカデミーとしての性格を持つ。また、the Science Council(学術審議会?)の加盟組織でもある。
英語表記のRoyalは、国王の許可を得て設立されたことを示すもので、元々は会への不当な干渉を防ぐためのものであった。国王が直接の資金援助を行ったわけではない。このため、日本の科学史家、板倉聖宣は王認協会と呼んでいる。ただし、この呼称は普及していない。同様に名称にRoyalを付ける許可をもらい、会への干渉を防ごうとした団体には、たとえば王立園芸協会(Royal Horticultural Society)などもあり、さらに、王立園芸協会の正式な日本語表記は、「英国王立園芸協会」である。(なお、王立園芸協会の設立に当たっては、当時の王立協会会長ジョセフ・バンクスも関係している)
王立協会は最初期から開かれた組織であった。協会は、世界中を連結し、得られた科学的知識を共有することを目指した。これはオープンコンテントの概念ともほぼ一致する。協会は秘密を排除し、会員間のコミュニケーションを促進させた。また、言語による他国人とのコミュニケーション不足がなくなるようにも努力した。
目次 |
[編集] 著名な会員
17世紀以降の著名な科学者の多くは、創立メンバー、または会員になっている。
最初期の主要な会員は、ロバート・ボイル、J・イーブリン、ロバート・フック、ウィリアム・ペティー、ジョン・ウォリス、ジョン・ウィルキンズ、トーマス・ウィリスとクリストファー・レンなどがいる。アイザック・ニュートンは、光学に関する研究の業績が認められ、後に協会理事長になった。
ロバート・ボイルは、協会で実験係になった。(1662年) トーマス・ベイズは、協会で最初に自分の研究結果を公表した。
[編集] 歴代会長
- ウィリアム・ブラウンカー(ブラウンカー子爵、1662-1677)
- ジョセフ・ウィリアムソン(1677-1680)
- クリストファー・レン (1680-1682)
- ジョン・ホスキンス(1682-1683)
- Cyril Wyche(1683-1684)
- サミュエル・ピープス(1684-1686)
- ジョン・ヴォーン(カーベリー伯爵、1686-1689)
- トマス・ハーバート(ペンブルック伯爵、1689-1690)
- ロバート・サウスウェル(1690-1695)
- チャールズ・モンタギュー(ハリファックス伯爵、1695-1698)
- ジョン・ソマーズ(ソマーズ男爵、1698-1703)
- アイザック・ニュートン(1703-1727)
- ハンス・スローン(1727-1741)
- マーティン・フォークス(1741-1752)
- ジョージ・パーカー(マクルスフィールド伯爵、1752-1764)
- ジェームズ・ダグラス(モートン伯爵、1764-1768)
- ジェームズ・バーロウ(1768-1768)
- ジェームズ・ウェスト(1768-1772)
- ジョン・プリングル(1772-1778)
- ジョゼフ・バンクス(1778-1820)
- ウイリアム・ウォラストン(1820-1820)
- ハンフリー・デービー(1820-1827)
- デイヴィス・ギルバート(1827-1830)
- オーガスタス・フレデリック王子(サセックス公爵、1830-1838)
- スペンサー・コンプトン(ノーサンプトン侯爵、1838-1848)
- ウィリアム・パーソンズ(ロス伯爵、1848-1854)
- ジョン・ロッテスリー(ロッテスリー男爵、1854-1858)
- ベンジャミン・コリンズ・ブロディ(1858-1861)
- エドワード・サビーン(1861-1871)
- ジョージ・ビドル・エアリー(1871-1873)
- ジョセフ・ダルトン・フッカー(1873-1878)
- ウィリアム・スポティスウッド(1878-1883)
- トマス・ヘンリー・ハックスレー(1883-1885)
- ジョージ・ガブリエル・ストークス(1885-1890)
- ウィリアム・トムソン(ラーグスのケルヴィン男爵、1890-1895)
- ジョゼフ・リスター(ライム・リージスのリスター男爵、1895-1900)
- ウィリアム・ハギンズ(1900-1905)
- ジョン・ウィリアム・ストラット(レイリー男爵、1905-1908)
- アーチボルド・ゲイキー(1908-1913)
- ウィリアム・クルックス(1913-1915)
- ジョセフ・ジョン・トムソン(1915-1920)
- チャールズ・シェリントン(1920-1925)
- アーネスト・ラザフォード(ネルソンのラザフォード男爵、1925-1930)
- フレデリック・ホプキンズ(1930-1935)
- ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ(1935-1940)
- ヘンリー・デール(1940-1945)
- ロバート・ロビンソン(1945-1950)
- エドガー・ダグラス・エイドリアン(ケンブリッジのエイドリアン男爵、1950-1955)
- シリル・ノーマン・ヒンシェルウッド(1955-1960)
- ハワード・フローリー(アデレードとマーストンのフローリー男爵、1960-1965)
- パトリック・ブラケット(ブラケット男爵、1965-1970)
- アラン・ホジキン(1970-1975)
- アレクサンダー・トッド(トランピントンのトッド男爵、1975-1980)
- アンドリュー・ハクスリー(1980-1985)
- ジョージ・ポーター(Luddenhamのポーター男爵、1985-1990)
- マイケル・アティヤ(1990-1995)
- アーロン・クルーグ(1995-2000)
- ロバート・メイ(オックスフォードのメイ男爵、2000-2005)
2005年3月29日に、ロバート・メイの後任としてマーティン・リーズが指名されたと発表された。
[編集] (不完全な)沿革
- 1640年代 学者らが非公式に集会を開くようになった。
- 1660年11月28日 創立
- 1661年 会の名を印刷した最初の印刷物が図書館に納書される。
- 1662年 王の憲章が会に関する許可を与える。
- 1663年 王の第二の憲章
- 1665年 事務総長ヘンリー・オルデンバーグが最初の学会誌を発行
- 1666年 ロンドン大火によりアランデルハウスへ移転
- 1710年 クレーンコートに会自身の建物を持つ。(それまでは間借り)
[編集] 文献
- Gleick, James, Isaac Newton, Vintage Books, ISBN 1-4000-3295-4
- Spratt,Thomas, History of Royal Society, Kessinger Publishing; (February 1, 2003), ISBN 0766128679