ペスケンニウス・ニゲル
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ペスケンニウス・ニゲル(Pescennius Niger、140年-194年)
コンモドゥス殺害の後、セウェルス朝ができるまでの内乱期、「五皇帝の年 (193年)」に頭角を表した人物。「ニゲル」という名はラテン語では「黒」を意味し、敵対者だったクロディウス・アルビヌスの「白(アルビヌス)」に対して名付けられた。カッシウス・ディオによれば、彼はイタリアのエクィテス階級の出自であったと言う。この「黒」という意味は彼が黒人だった事は意味しない。
もともとはシリアの属州総督であったが、ペルティナクス殺害、ディディウス・ユリアヌスが帝位を公売で買った際にシリアの軍団より皇帝として支持を受ける。そして彼はすぐにアエギュプトゥスも支配下にして、さらにアシア在住の軍団の支持も受ける。当時、この属州はローマの中でも最も肥沃な地域であったが、セプティミウス・セウェルスが先にローマ入りを果たすと、セウェルスと対峙、193年にキジクス、ニケアで敗北、そして194年にイッススで敗れるとアンティオキアへ退却、そしてパルティアへ亡命しようとして殺された。