マッシミリアーノ・スフォルツァ
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マッシミリアーノ・スフォルツァ(Massimiliano Sforza, 1493年ミラノ - 1530年パリ)は、1512年から1515年のミラノ公。スフォルツァ家の一員である。
フランス王ルイ12世(1500年-1512年)とフランソワ1世に占領されていた間の公である。
ルドヴィーコ・スフォルツァ「イル・モーロ」の長男で、ルイ12世に父が敗北し投獄された時、ドイツに弟のフランチェスコとともに亡命していた。
スイス人傭兵のおかげで1512年にマッシミリアーノはミラノ公国の指導者としての新しい地位についたが、実際にはスイス人傭兵達が公国の真の支配者だった。
1515年のマリニャーノの戦いの敗北の後、マッシミリアーノはあきらめミラノの所有権を3万ドゥカートでフランソワ1世に明け渡した。
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