マニウス・アキリウス・グラブロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マニウス・アキリウス・グラブロ(Manius Acilius Glablo)は共和政ローマの元老院議員、主に東方ギリシアを活躍の場とした。
紀元前191年にスキピオ・ナシカとともに執政官となる。そしてセレウコス朝シリアのアンティオコス3世と戦い、勝利する。その後も東方の動向、とくにアエトリア同盟の結束に努める。いかしながら結束はうまくはいかずにティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスの介入により同盟の結束を保てるようになった。
紀元前189年にグラブロはケンソルに立候補、しかし疎外され、シリアでの略奪品の横領疑惑で告発され、立候補を取り下げた。