マリア・レティツィア・ボナパルト
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マリア・レティツィア・ボナパルト(Maria Letizia Bonaparte, 1750年8月24日 - 1836年2月2日)は、ナポレオン・ボナパルトの母。フランス皇太后。結婚前の姓はラモリノ(Ramolino)。
1750年、ジェノヴァ共和国の大尉ジョヴァンニ・ジェロニモ・ラモリノの娘としてコルシカ島のアジャクシオに生まれ、14歳でカルロ・マリア・ブオナパルテ(シャルル・マリ・ボナパルト)と結婚、5男3女を得た(ナポレオンは次男)。コルシカ独立戦争が始まると兵士として参加、その後夫がなくなると再婚をせず1人の母親として暮らした。1792年にコルシカを追われ、家族全員でマルセイユに移住後は貧しいながらも子供達を育てあげ、長男のジョセフは、親しくなった富豪のクラリー家の長女マリー・ジュリーと結婚した。次男のナポレオンも次女のデジレと親密になり、マリア・レティツィアも応援していたが、意に反して1796年にジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚した。彼女のことは気に入らなかった。
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ナポレオンが皇帝を目指すと反対し、1804年12月2日の戴冠式には出席しなかった。皇太后の身分を得ても他の家族のように贅沢をせず、質素に生活して金銭を倹約した。この時に貯めた資金で、フランス第一帝政崩壊後に困窮した元部下や家族を援助した。ナポレオンが流刑先で亡くなると1836年に死去するまでの15年間、一族を率いた。