ミロスワフ・ヘルマシェフスキ
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ミロスワフ・ヘルマシェフスキ(Mirosław Hermaszewski、1941年9月15日 - )は、ポーランドの軍人、飛行士。ポーランド初にして唯一の宇宙飛行士。
リプニキ村に生まれる。1961年、中学校を卒業し、デンブリン飛行士軍事航空学校に入校。卒業後、ポーランド防空軍の戦闘航空隊に勤務。
1969年~1971年、カロル・スヴェルチェフスキ名称参謀本部アカデミー航空学部で学び、優秀で卒業。1975年、戦闘機航空連隊長に任命。
1976年、「インターコスモス」計画の宇宙飛行士候補に選抜。同年12月、Y.A.ガガーリン名称宇宙飛行士訓練センターで訓練に入り、宇宙船「ソユーズ」と宇宙ステーション「サリュート-6」の操縦課程を受けた。
1978年6月27日~7月5日、「ソユーズ-30」と「サリュート-6」で宇宙に滞在。7月5日、ソ連邦英雄称号とレーニン勲章を授与された。
宇宙飛行後、ポーランド軍で勤務を続ける。1981年の戒厳令導入時、軍事救国会議のメンバーに入る。1982年、モスクワのK.E.ヴォロシーロフ名称参謀本部軍事アカデミーを卒業し、飛行学校校長に任命。その後、ポーランド軍政治総局副総局長となり、1989年の政治将校制度廃止まで在任した。現在、退役。
一等グリュンワルド十字勲章、レーニン勲章を受章。ポーランド科学アカデミーのN.コペルニク・メダルを受賞。