ロクリスのティマイオス
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ロクリスのティマイオス Τίμαιος (Timaios, 紀元前5世紀後半)は、プラトン (Platon, 紀元前427頃–347頃)の著作『ティマイオス』と『クリティアス』に登場する哲学者・政治家である。
[編集] 『ティマイオス』・『クリティアス』での記述
- プラトンの『ティマイオス』、『クリティアス』によると、ティマイオスはアテナイのパンアテナイア祭(7月頃)の最中に、シュラクサイの政治家ヘルモクラテス(Hermokrates, 紀元前450頃–408/407)、アテナイの哲学者ソクラテス(Sokrates, 紀元前470頃–399)らと共に、アテナイの名門の出のクリティアス (Kritias, 紀元前500頃–420頃)の客人として招待されている。
- ティマイオスはゼピュリオンのロクリスの重要な地位の人物で、財産・家柄ともに優れ、数学・天文学を初めとする自然科学にも精通しているとソクラテスによって讃えられている。また『ティマイオス』の作中で、ピュタゴラス学派的な宇宙論を展開しており、作品の題名になるほど主要な役割を果たしている。但しプラトンの作品と脚注本以外に言及している文献がほとんど存在しないため、実在が疑われている。
[編集] ゼピュロスのロクリスとペロポンネソス戦争
- ゼピュリオンのロクリス(Lokris, エトルリア語ではロクロイLokroi, ラテン語ではロクリ Locri)とは、紀元前673年頃にギリシア本土の東ロクリスの貴族達がイタリア半島南端に近い東海岸に建設したと伝えられる殖民都市である。ペロポンネソス戦争においてはペロポンネソス同盟側に所属しており、紀元前426年以降アテナイがシケリア(シチリア)に干渉すると、ロクリスはシュラクサイと同盟関係を結んでアテナイと戦った。ゲラの会談(紀元前424年)におけるヘルモクラテスの努力によりシケリア諸国家とアテナイの間に和平が成立した後も、ロクリスはアテナイに占領されていたメッセネ(Messene, Messana (メッサナ), メッシーナ)を奪うなど、戦争を続けたが、紀元前422年頃にアテナイと和平を結んだ。紀元前415年に再びアテナイがシケリアへ干渉すると、ロクリスはアテナイ艦隊の寄港を断り、さらにシュラクサイへ派遣されたスパルタのギュリッポスの艦隊を保護するなど、シュラクサイとスパルタへの協力を行った。紀元前412年以降、エーゲ海にスパルタへの援軍を派遣している。紀元前4世紀に入ると、強大化したシュラクサイの支配を受けることになる。
- プラトンの『クリティアス』、『ティマイオス』の対話が現実のものとするなら、シュラクサイのヘルモクラテスとロクリスのティマイオスがアテナイのクリティアス邸へ招待され得る時期は紀元前422–415年の間に限られる。その中でも包括的な平和条約(ニキアスの和約、紀元前421年3月頃)が成立した紀元前421年の7月頃が設定時期として最有力である。この時プラトンは10歳であり、紀元前415年までの間にティマイオスはプラトンへ学問を教える機会があったかも知れない。
[編集] 他の史料
- マルクス・トゥッリウス・キケロ (Marcus Tullius Cicero, 紀元前106-43)の『最高善と最大悪について』(De finibus bonorum et malorum )と『国家』(De re publica)によると、ロクリスのティマイオスはプラトンの数学の師匠であったという(Cic.de Fin.v.29; de Re Publ.i.10)。またキケロはプラトンの『ティマイオス』をラテン語へ訳しているが、断片が残るのみである。
- スイダス (Suidas, 10世紀)によると、ティマイオスはピュタゴラスの伝記を書いたとされる。