ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)
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ロバート・セシル(Robert Cecil, 1563年6月1日 - 1613年5月24日)は、初代ソールズベリー伯(1st Earl of Salisbury)。イングランド女王エリザベス1世の宰相を務め、後継者ジェームズ1世の元でも側近として仕えた。
エリザベス1世の宰相だったバーリー男爵ウィリアム・セシルの次男として生まれる。母はウィリアムの2番目の妻で、エドワード6世の教師を務めたアンソニー・クックの娘であるミルドレッド・クック。賢い女性だったが、息子に劣らぬほどに背骨が湾曲していた。ウィリアムには他に、最初の妻との間に生まれた長男トーマスがいたが、相続順では優先になるこの兄はあまり有能ではなかったようだ。
幼い頃より小柄な(もしくは背骨が湾曲して小柄に見えた)ため、エリザベス1世には“pigmy”、“little elf”または“Little man”と呼ばれていた。最終的には5フィート(約150cm)に足りないぐらいだったようである(ヒバート『女王エリザベス』)。一方、ヘンリー8世関連の書籍(Henry VIII and his chopping block)によれば、この当時の男性の平均身長は160センチとのこと。ヘンリー8世の若い頃の話としても、一世紀経っていないぐらいなので、さほど極端な「小人」ではないようだ。 幼い頃は父の書斎を活用して家庭教師に学び、その後、セント・ジョンズ・カレッジ、ケンブリッジ大学と進む。フランス留学もしたようである。
子どもがいなかったエリザベス1世の死後、後継者問題が混乱しなかったのは、ロバートの功績と言われる。父ウィリアムの生前よりエリザベスに仕えており、父の死後その跡を継いだ。1605年にソールズベリー伯に叙され、現在もこの称号はセシル家が所持している。
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[編集] 補足
父ウィリアム・セシルに関してはエリザベス1世の伝記や小説を参照すればよいが、ウィリアムがエリザベスの晩年に死んでいるため、ロバートの代に関しては記述が少ない。
[編集] 参考文献
- 石井美樹子監修『エリザベス女王』小学館
- Jane Dunn Elizabeth & Mary Vintage Books
- ヒバート,クリストファー『女王エリザベス(下)』原書房
- Christopher Hibbert The virgin Queen
- Margaret Simpson Elizabeth I and her conquests Scholastic
[編集] 小説
- マイルズ、ロザリンド『我が名はエリザベス(下)』近代文芸社
- Jean Plaidy Queen of this Realm Three river press
[編集] 関連項目
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