一条経嗣
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一条経嗣(いちじょう つねつぐ 正平13年/延文3年(1358年) - 応永25年11月17日(1418年12月14日))は、室町時代前期の公卿(関白)。関白二条良基の三男で、一条経通の子と称して一条家を継いだ。子に一条兼良・僧雲章一慶がいる。
正平22年/貞治6年(1367年)に元服して正五位下に叙され、翌正平23年/応安元年(1368年)従三位となる。元中5年/嘉慶2年(1388年)内大臣、元中8年/明徳2年(1391年)従一位となり、応永元年(1394年)に関白左大臣に任じられた。応永5年(1398年)関白の職を辞したが、同6年(1399年)と17年(1410年)に関白に任じられ、関白職のまま准三宮の宣下を受けた。令を中原章忠に、日本書紀を吉田兼煕に学んでいる。足利義満と同年でその信任を受けた。成恩寺殿と号す。
日記『荒暦』がある。また『相国寺塔供養記』『北山院御入内記』『北山殿行幸記』『応永大嘗会記』などの仮名日記がある。