三正
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三正(さんせい)とは、中国戦国時代に唱えられた年始をどこに置くかについての3種類の考え方、夏正(かせい)・殷正(いんせい)・周正(しゅうせい)を総称したもの。夏王朝・殷王朝・周王朝における暦(夏暦・殷暦・周暦)で用いられていたと主張され、 それぞれ建寅・建丑・建子の月を正月とし、その朔日を年始とした。
建寅・建丑・建子とは、月建と呼ばれるもので12ヶ月に十二支を配当したものであり、冬至を含む月を建子の月とした。
月建 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 辰 | 巳 | 午 | 未 | 申 | 酉 | 戌 | 亥 |
夏暦 | 11月 | 12月 | 正月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 |
殷暦 | 12月 | 正月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 |
周暦 | 正月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
春 | 夏 | 秋 | 冬 |
このうち戦国各国が主として採用したのは夏正であり、これは夏・殷・周と王朝交替してきた歴史から周の後を継いでいる王朝は自国であるという正統性を示すためである。
しかし、秦国は他国と異なり年始を建亥の月(10月)に起くという顓頊暦を採用していた。ただし、月の配置は夏正によっており、10月を正月と名付けたり、正月を4月とすることはなかった。つまり顓頊暦では年始と正月を別々に考えていただけで、実質的に夏暦であった。この顓頊暦が秦代、前漢初期と使われていたのであるが、太初の改暦において年始を建寅の月(正月)とし、以後、現在に至るまで太陰太陽暦の年始には夏正が用いられている。