ノート:三河弁
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[編集] 例文
「携帯の電波、入らんくない?」という例文がありますが、「入らんことない?」としたほうがより三河弁らしいように感じますがいかがでしょうか。三河の人間でないので遠慮してノートにて。mononohazumi 2005年10月14日 (金) 10:03 (UTC)
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- ・・・だら、・・・だらあの説明文は遠州弁のページと同じ説明文にしています。
- 僕が住んでる地域(静岡県西部地方)では「~ことない?」は使いませんので、遠州弁と共通させるために、例文は、「携帯の電波、入らんくない?」の方がいいと思います。
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- デビット 2005年11月17日 (木) 17:05 (UTC)
私は三河地方の人間です。 私が使うのはどちらかというと「入らんくない?」ですかね。 でも、「入らんことない?」とか「入らんじゃん!」(それはまた違うけど)とか そういった感じですよ。
[編集] こりん/きりん
最近の編集で「来りん」の読みが「きりん」から「こりん」に変更されましたが、これが正しい形なのでしょうか? 五段活用で「連用形+ん」であることから「きりん」のほうが古くからある由緒正しい形のように思われますが。
私は尾張の人間なので編集は遠慮してノートにて。どうなんでしょう?
mononohazumi 2005年9月1日 (木) 11:49 (UTC)
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- 僕は静岡県西部地方に住んでいますが、僕が住んでる地域では「りん」はあんまり使いませんので、「きりん」か「こりん」かどっちが正しいか分かりません。
- 静岡県と愛知県の県境ぐらいなら使いますけどね。最近、三河でもあんまり使っていないようです。
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- デビット 2005年9月2日 (金) 22:02 (UTC)
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- 静岡県湖西市出身の方に聞いたところ、湖西市は愛知県との県境なので、「連用形+りん」を使うそうです。それで、来るにりんを付けたら、「こりん」ではなく、「きりん」になるとその人がおっしゃっていました。やはり、「きりん」より「おいでん」の方がよく使うそうです。人によっては、「こりん」と言ったり、「きりん」と言ったりするのでしょうかね。「きりん」に直し、脚注として「人によっては、「こりん」と言ったり、「きりん」と言ったりするってことで編集しておきますね。
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- デビット 2005年12月29日 (金) 12:19 (UTC)
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[編集] アクセント
「歴史的に見れば三河で東京アクセントが行われているのではなく東京で三河アクセントが行われている」というのは言い過ぎではないでしょうか?三河から東京にアクセントが伝わったかどうかも分かりませんし。--Haruharu 2005年8月26日 (金) 19:57 (UTC)
- 当該部分を記述した者です。何かの本でそのように読みました。明日図書館で調べてみます。mononohazumi 2005年8月27日 (土) 09:09 (UTC)
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- 図書館で何冊か本を調べてみましたが、確かなソースは見つけられませんでした。よく考えてみたら、録音技術のない時代のアクセントについて本当に確かな証拠など見つかるはずもありませんでした。
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- という状況証拠から三河のアクセントが東京のアクセントの基になったのではないかという気は依然しますが、いかんせん状況証拠です。
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- というわけで該当部分を編集いたします。どういう風に編集するかはこれから考えます。
- mononohazumi 2005年8月28日 (日) 10:31 (UTC)
三河と名古屋のアクセントが似ていると有りますが、どうでしょうか?尾張国でも知多は三河とアクセントは似ています。でも、三河と名古屋市内のアクセントは違うと思いますが。--ウィキ豊 2006年10月30日 (月) 03:07 (UTC)
[編集] ケッタマシーン
富山県でも自転車(ちなみに富山では「じでんしゃ」です)のことをケッタ・ケッタマシーンと言っていたので、全国的なものなのかとも思ったのですが、調べてみるとそうでもないようです。どの辺まで使われているのでしょう?nnh 2005年11月25日 (金) 03:20 (UTC)
昔テレビ(夕方のニュース番組だったかなぁ)調べてて、東西では三重県辺りから浜松辺りまでだったと記憶しています。西三河以西はケッタ、東三河はケッター。東海言葉かなぁ。 --Torneco 2005年11月25日 (金) 13:07 (UTC)
[編集] 定義
三河弁、豊橋方言、遠州弁および尾張名古屋弁が、ごちゃまぜなので分類修正しておきました。 隣接地域同士で、言語が影響を受けるのは当然だが、由来や用法までごちゃまぜはよくありません。
当方は、三河弁=西三河地域方言、徳川家康以来の三河武士(三河者)を由来とする言語と考えています。--221.119.255.133
- 定義をある程度はっきり記述して下さい(定義(スタイル含む)が無くなってしまいました。)。いろいろな考えを持っている方々が編集していますので、大きな変更はノートで議論していただけるとありがたいと思います(どの考え方を定義とするのがいいのかについて私には分かりませんが)。--Torneco 2005年12月24日 (土) 04:47 (UTC)
通常、三河弁って、徳川家康以来の三河武士で有名になっているはずなので、西三河方言で間違いないですよ。 豊橋方言と名乗るべきです、東三河地域は、遠州弁に似ていますし。
西三河地域では、遠州弁は一切使いません、影響ゼロです。
西三河のほうが人口・面積ともはるかに大きいので、三河弁の正統でしょう。 たえず、正史においても西三河側が中心主体で、東三河側が西三河側を征服支配している事例はありません。
それに県境の豊橋・田原の人口は戦後の発展で拡大したものなんで、遠州の影響が強いですよ。
- Tornecoさんはあなたの書いたことが間違っているなんて言っていませんよ。
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- ウィキペディアは百科事典なので、記事の冒頭部分は「三河弁の定義」であるべきだ
- 大きな編集はノートで議論してからにしてほしい
- と言ってみえるのです。定義というのは三河弁という言葉の意味の説明です。あなたの書かれたのは、話があちこちに飛び過ぎて、私が名づけたように定義というより「雑感」になってしまっています。
- mononohazumi 2005年12月28日 (水) 12:34 (UTC)
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- 先ほど本文を編集されたのは上の221.119.255.133さんと同じ方でしょうかね。ちょっと編集が大胆すぎるというか、百科事典の項目としては自己主張が強すぎませんか。
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- 西三河弁と東三河弁を同じ三河弁でくくるのは確かに不合理かなとも思います。しかし、世間一般では「三河弁」でくくるのが一般的なのが実情です。百科事典の三河弁の項目としてはまず一般的な三河弁の説明に大半を費やして、その後西三河と東三河では違いが大きいので同じ言葉でくくるのは無理があるという論にも触れるくらいが限度だと思います。
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- 現状では「三河弁」の項目というより「西三河弁と東三河弁は違う」の項目のようです。あるいは三河弁呼称論とでもした項目を立てて、そちらで西三河弁と東三河弁の違いについては論じたほうがよいかもしれません。
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- mononohazumi 2006年1月2日 (月) 22:06 (UTC)
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- (追記)独断でやると編集合戦になりそうなのでこちらで提案しますが、以前の冒頭部分に差し戻して、現状の冒頭部分は削除された「地域差」の節へ移動するという案はどうでしょうか。mononohazumi 2006年1月2日 (月) 22:33 (UTC)
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- Mononohazumiさんの意見に賛同いたします。以下個人的な意見ですが、IPユーザーさんの言っている内容もある程度理解はできます。ただ、「何が正しい」とか、「こうであるべき」とかは私たちが決めることではないと思います。現在の定説が間違っているという説が定説になってから直せばすむ話で、諸説は諸説としての記載にとどめるのが妥当と思います。--Torneco 2006年1月6日 (金) 08:50 (UTC)
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- 提案どおりに致しました。mononohazumi 2006年1月6日 (金) 10:41 (UTC)
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正史において、西三河が中心であるという言葉には、異議が有ります。三河国の国府は豊川市国府町で東三河ですし、三河国の「一之宮」は砥賀神社で現在の豊川市でかつての宝飯郡一宮町(通称、三河一宮)に有り東三河です。律令時代では、なまじ東三河が中心と言うべきです。勿論、戦国期にいたり、西三河の岡崎城の安祥松平家の勢力が強まり、松平家が東三河の吉田城に徳川四天王筆頭の「東三河の旗頭」酒井忠次公をおき、三河国が岡崎城中心体制になったことは認めます。--ウィキ豊 2006年9月22日 (金) 06:28 (UTC)
[編集] ~じゃん
学校の図書室の方言の本でたまたま、「~じゃんは元々は甲州弁だった」と載っていました。
一時期、遠州弁と三河弁のページに、「じゃん」について、横浜弁という説があると書かれていましたが、実は、その本に「甲府商人の人が横浜へ行って、~じゃんを使ったから、~じゃんの起源は横浜弁と勘違いされることが多い」と書いてありました。
なので、横浜弁という説があると書いてあったのです。
遠州弁と三河弁のページに、「じゃん」について、横浜弁という説あるという説を僕が消しましたが、消した理由は、~じゃんの起源は横浜弁じゃなさそうと思って消しました。ですが、やはり、僕の思った通りじゃんの起源は横浜弁ではありませんでした。
三河弁が起源という説はどうなんでしょうかね?遠州弁の起源は三河弁ですので、~じゃんの起源は遠州弁ではないと思います。
みなさんは~じゃんの起源は三河弁だと思いますか?それとも甲州弁だと思いますか?
本に書いてあったので、僕は、甲州弁だと思いますけどね。
デビット 2005年1月9日 (月) 14:31 (UTC)
[編集] 本文に追加して欲しいこと
私は東三河に住んでいる学生です。
東三河の人間はたいていやさしいいい方だと語尾を伸ばし、少しきつい言い方だと 語尾をブチッときります。'
例
[やさしい]「明日当番だらぁ?」
[きつい]「明日当番だら?」
その辺の事をもう少し本文に入れてもらいたいな。 と思っています。
[編集] 伊良湖岬では
伊良湖岬では三河弁が話されているのでしょうかね?
三河弁でも西三河系と東三河系とどっちの方の三河弁が話されているのでしょうかね?
デビット 2006年8月7日 (月) 17:37 (UTC)
伊良湖岬は旧渥美郡で地理的には明らかに東三河ですから、東三河系の三河弁でしょう。--ウィキ豊 2006年10月30日 (月) 02:58 (UTC)
[編集] いろいろ
いろは坂という名前は,リンク先にも有るように,昭和初期から言われ始めたとしたら,三河弁とは関係あり得ません。また,名古屋弁で,50音が不明瞭という記述がありますが,50音そのものが不明瞭というわけではなく,連母音が,たとえばai→「appleのa」という風に変化するだけなので(音は違うにしろ,三河や東京,中国地方にもai→e:は有ります),「不明瞭」という記述は適切でないと考えます。たとえば,「なごや」と「ながや」が区別できないわけではないので。次に,三河弁と上方方言が,共に鼻濁音が無いとありますが,これも,上方方言は鼻濁音のある方言が広がっていたので,適当でないと考えます。(東京と同様に現在では衰退傾向ですが) あと,三河弁が東京方言に影響を与えたと,学術的に示された例というのはあるのでしょうか?東京方言が上方方言の影響を受けたというのは,江戸時代の書物や(~なんだ,~しなかったの意味),現代の東京方言(「~ません」の「ん」,周辺の関東方言では「~ましねえ」が本来の形)からはっきりとわかるのですが。にたような感じで無いでしょうか。--Haruharu 2006年10月26日 (木) 16:56 (UTC)
Haruharuさん、こんにちは。「いろは坂」は昔から有る物ではありませんが、現在の三河の人間が、「いろは」ないし「50音」を明瞭に発音するときには無関係とは思えません。Haruharuさんがどこの御出身か存じ上げませんが、名古屋弁では、標準語で「ふーん」と相槌をうつ場合、「ハーン」と鼻にかけながら発音しますが(言わば鼻で笑う感じ)、聴く人によっては「ホーン」とも「ヘーン」とも響きます。アイウエオのどの母音とも正確には当てはまりません。このような名古屋弁は明らかに50音が不明瞭と言わざるを得ません。三河弁に比べ明らかに不明瞭です。「いろは」を明瞭に発音するのが、名古屋弁に比べて三河弁の特色と言うのは間違いないと思います。そして、ai→e:の連母音ですが、三河古来のものとは考えづらく、江戸ッ子などの影響でしょう。そして鼻濁音についてですが、大阪方言は明らかに鼻にかからず、鼻濁音ではありません。Haruharuさんの上方方言が具体的に近畿地方のどこかおっしゃって下さいませんか。なまじ、奥羽の人は語頭のガ行の音まで鼻濁音になります。鼻濁音はなまじ関東訛りではないかと思います。江戸時代の記録に、幕府で出世志向の強い人間が三河言葉を使うという記録が有るそうです。将軍家への胡麻擂りの一種でしょう。--ウィキ豊 2006年10月30日 (月) 02:29 (UTC)
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- お返事ありがとうございます。まず,「いろは坂」の件ですが,無関係だと思わない理由としてどのようなものをお考えでしょうか。つぎに,「ふーん」の発音についてですが,相槌などで使われる「んー」等もそうですが,東京でも若干無声化した鼻音(あまり声帯を震わせずに「ん」を発音)が使われることが多く,おそらく「はーん」~「ほーん」等で聞き取った音もこれと同じ物だと考えます。三河の人も同じように発音することがあると思います。それに,50音が曖昧というのであれば,相槌等の音ではなく,一般的な単語の音の例が必要だとおもいます。ai→(e:,a:,appleのa)の変化は近畿地方と四国地方(と東京方言)をのぞく全国に分布しているもので,三河においてもかなり古い時期からあったと思います。鼻濁音については,大阪や京都でも,伝統的には東京と同様に鼻濁音が行われていました。東京と同様に,現在ではあまり聞かれなくなってきていますが。最後に三河弁が東京の言葉に影響を与えたかについてですが,幕府で出世志向の強い人間が三河言葉を使うかどうかと,東京の言葉に影響を与えたかどうかは別問題であると考えます。--Haruharu 2006年10月30日 (月) 15:55 (UTC)
Haruharuさん、こんにちは。正確性を期すための議論ならば付き合います。まず、「イロハ坂」の件です。尾張の人間と三河の人間が文章を音読しますと、カナの一字一字を丹念に拾う三河の人と、カナの一字一字を大雑把に捉える尾張の人との違いが出てきます。目で見れば明瞭に存在する文字を無視できない三河の人と、文字が存在しても普段聴覚で捉えている音感で読み上げる尾張の人との違いは明らかです。「イロハ坂」の各曲がり角を視覚的に捉える三河の人と、伊呂波歌とヘアピンカーブをかけたのだなとしか思っていない尾張の人では違いが出てきます。はっきり言いますと、三河の人のほうが視覚的に捉えており、尾張の人のほうが聴覚的に捉えています。「イロハ坂」は日光東照宮や華厳の滝など観光名所に作られた道路の坂です。三河では視覚的イメージを無視しませんが、尾張では視覚的イメージが有りません。「イロハ坂」のみでも三河では視覚的に「50音」を意識し、「50音」を明瞭に発音するようになるものですが、尾張の人間は視覚的イメージが焼き付きません。したがって、尾張は「いろは」を明瞭に発音しようとする契機になりません。次に、「ふーん」の件です。中京圏で民放ラジオなど聞けば鼻にかかった「ハーン」という相槌をよく耳にするはずです。名古屋弁は母音が八つ有るとも言われ、「アイウエオ」ではない音が明らかに存在します。ちなみに韓国語は八母音、中国語は九母音ですね。韓国語と名古屋弁には関係が有るかもしれません。万葉集の時代の日本語の母音が八母音であったという説と五母音であったという説の両説対立することはHaruharuさんはご存知かどうか分かりませんが、この上代の八母音の日本語が現代の名古屋弁に残ってしまったという説が、名古屋の街ではまことしやかに言われています。無論、上代の日本語も五母音であれば、この説は荒唐無稽な珍説になりますが。それから、名古屋は京の町と同じく、「御在所」を「ゴザイショ」ではなく、「ゴゼァーショ」と発音します。これも八母音のひとつでしょう。話が戻ります。尾張名古屋は五母音以外の「ヘーン」とも響く相槌を打ちますが多分本人は「変」とも聞き取れる言葉を発音したつもりは無く聞き手が「ヘーン」と聞いただけです。尾張の人同士では相槌ですのでいいですが、三河の人間は「変」と聞こえるような発音は極力避けるでしょう。そのため、こんな発音の相槌は三河の人がするとは思えません。その次、鼻濁音の件です。大阪の町で鼻濁音は聞いたことがありません。Haruharuさんは大阪の町で、大阪の人間と会話したこと有りますか。大阪の町の言葉は、鼻にかからぬ、なにわ風に言えば「ベタ」な発音をします。京の町ならいざ知らず、なにわのあきんどで鼻濁音で話すお人とオータこと有りません。それに対し、東北弁は鼻濁音が多く、なにわの人間はこの鼻濁音を嫌います。最後に、三河弁と東京弁の関係です。江戸時代まで、江戸の民の上に幕府がありました。幕府の出世願望の強い役人の言葉が、江戸方言に影響を与え、明治維新後も、現代の東京弁に影響を与えることは十分考えられることと思います。したがって、別問題とは思えません。--ウィキ豊 2006年10月31日 (火) 02:23 (UTC)
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- お返事ありがとうございます。「イロハ坂」の件ですが,尾張-聴覚的,三河-視覚的というのは,具体的な根拠はございますでしょうか。そもそも,いろは坂と命名された時代が昭和という問題が解決されないと,関係があるとはいえないと思います。名古屋弁に母音が8つあるというのは事実ですが,韓国語や万葉集時代の日本語とは全く関係ありません。5母音の状態から,3種類の連母音(ai,ui,oi)が変化した結果生まれたもので,この3つの母音は,すべて5母音の体系に基づくものですから,名古屋弁において50音が無意味になっているわけではありません。「御在所」の在(ざい)の母音であるaiが変化して,「ゴゼァーショ」となるのもそのためです。相槌の音については,そもそも文字化することの少ない音ですし,たとえば東京や京都でも文字通り[hu:n]と発音するとは限らないわけで,これをもって50音の議論をするのは不適切だと思います。たとえば,上で述べたような「なごや」と文字で書いてあるのに「のごや」と読むというような例をあげないと,名古屋弁で50音が曖昧であるとはいえないと考えます。鼻濁音については,文献からの引用ができなくて申し訳ないのですが,鼻濁音について,県単位の図で正確なものではありませんが,近畿地方には鼻濁音が分布しています。現在の大阪で鼻濁音が聞かれないとしても,東京で鼻濁音を聞くことが滅多にないのと同じことで,それをもって大阪或いは近畿地方に鼻濁音が無かったといえません。そのため,「上方と同じで鼻濁音が無い」という記述は不要だと考えます。最後に三河弁と東京方言の関係についてですが,「幕府の出世願望の強い役人の言葉が、江戸方言に影響を与え、明治維新後も、現代の東京弁に影響を与えることは十分考えられることと思います。」ということについては,あり得ないことではないと考えますが,東京方言の,どこが三河弁の影響によるものであるかの記述がなされるか,明確な証拠が示されるかしない限り,「東京方言の成立に影響を与えた」と書くことはできないと考えます。--Haruharu 2006年10月31日 (火) 09:43 (UTC)
こんにちは。10月31日 (火)の件を申し上げます。まず、尾張-聴覚的,三河-視覚的の件ですが、これはどちらかというと京都中心の同心円説の観点を根拠としています。かつての京の町では御簾の奥の帝のお声のみしか聞けず、お姿を拝見できなかったためか、聴覚のみで言語を捉えています。尾張のほうが地理的に京に近く、京風の聴覚中心の言語把握になりやすく、徳川将軍家を輩出した三河は京から地理的に遠く聴覚による言語把握のほか視覚の比重が高まったことは間違い有りません。「イロハ坂」が昭和のものという問題ですが、それならば大正以前の三河弁には関係ないということがHaruharuさんのご意見であろうと思います。実はこの件ですが、かつて三河に鼻濁音が有った可能性を否定できません。時代が下るにつれ消えて行った可能性は有ると思います。ただ、昭和以降の三河弁は鼻濁音が無いと言っても過言ではなかろうと思います。それならばなおさら、昭和時代建設の「イロハ坂」の存在は大きいでしょう。基本的に、鼻濁音は「ガ行」に有る物です。清音は「カキクケコ」であり、濁音の「ガギグゲゴ」の音を濁音と鼻濁音に使い分けしなくなった時点で鼻濁音が消えたことは間違いないでしょう。「イロハ坂」は三河守の徳川家康の廟の坂であり、鼻濁音も濁音も、「清音」に濁点をふったものです。地元の英雄意識が有る以上、「イロハ坂」を契機に「清音」を意識し、[清音」に濁点をふった濁音の使い分けに興味を失った可能性があります。日本語の表記法では、単なる濁音と鼻濁音の「ガ行」の音を書き分けられず、そのため、鼻濁音が消失していくのであると思います。次の名古屋弁の「イロハ」が曖昧であるという問題です。Haruharuさんの説はともかく、名古屋市内では、韓国語はともかく、上代の万葉集の時代の日本語の名残であると信じている人間は大勢います。確かに「御在所」は連母音です。連母音ではない例を挙げます。名古屋市民は結構、教養ある人間でも、「好ましい(コノマシイ)」を「好もしい(コノモシイ)」と書き誤ります。(訂正します。「好もしい」は辞書で正用として認められているようです。お詫び致します。--ウィキ豊 2006年11月8日 (水) 05:48 (UTC))これは名古屋弁では「マ」と「モ」の音を曖昧に発音しているため、犯すものでしょう。やはり、名古屋弁は50音を曖昧に発音している以上、それに対比して、三河弁は「イロハ」を明瞭に発音するとして良いものと思われますが、Haruharuさんの賛同は得られませんか。ちなみに名古屋市内では「名古屋」は「ナゴヤ」と言いますが、「那古野」は「ナゴノ」と発音します。多分、「ナガヤ」とは発音しないとは思いますが、これも100パーセントの保証はできかねます。ただ、那古野は地名のため御参考にはならないかも知れませんが。その次、鼻濁音の問題は「イロハ坂」のお答えと重複しますが、三河も大阪市(上方)もかつて鼻濁音が有った可能性を否定しきれません。現在の三河弁に鼻濁音がほぼ無いのは上方(大阪市)の鼻濁音の消失が契機である可能性があります。上方(大阪市)の人間が「鼻濁音は東北弁のようや。」とからかえばたいていの三河の人間は鼻濁音を使わなくなります。また、三河弁に鼻濁音が無いことを初めて記入したのが僕ではなく(補充したことは事実ですが)、「上方と同じで鼻濁音が無い」の記述を僕が抹消することはできかねます。最後に、東京方言に三河弁が影響を与えたと言う件ですが、東京方言と三河弁の類似性を指摘すればよいと思います。この項目では東京方言と三河弁の違いばかり強調していますが、類似点は非常に多いと言う事実の記述が欠けている点に問題が有ります。例えば、「居る」という意味の「おる」ですが、三河以西で多用するにもかかわらず、遠江以東では「いる」しか使わず、東京横浜以外では「おる」は全くと言っていいほど使いません。明日の翌日を東京方言で「シアサッテ」と言いますが、三河では「シアサッテ」なのにもかかわらず、関八州では一般に「シアサッテ」ではありません。方言論の代表に京都中心の同心円状に方言が存在すると言う説がありますが、その説からすれば東京横浜はほぼ三河くらいの位置に有ってもおかしくない言葉遣いで有るはずです。--ウィキ豊 2006年11月2日 (木) 03:11 (UTC)
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- お返事ありがとうございます。方言周圏論はこの議論には関係ないと考えます。それに,京都を含め上方の方言は,音韻に関して言えば,連母音の変化等が少ない,つまり50音に忠実な方言です。また,帝の声を聞けなかったから聴覚中心などという説は,反証可能性の無い表現なので,反論のしようが有りません。もしも「イロハ坂」の件を三河弁の内容として書くなら,具体的に関係が有るといえるような根拠か,或いは最もらしいと思われるような情報を示す必要があると考えます。たとえば,大正期から昭和期の三河弁の変化を示し,栃木~愛知という地理的なギャップを解決する理論或いは仮説を示せば,関係ある或いは関係あるかもしれないと書けます。次に,「好ましい~好もしい」の件ですが,「好もしい」は辞書にも載っている単語です。もしもこのような例で,50音が曖昧といえるなら,たとえばこの三河弁の,「狭い」の意味で「せばい」とか,「たるい」~「たりい」の例をもって,三河弁も同様だといえます。(三河弁は50音が曖昧であると主張したいわけじゃ有りませんよ)名古屋弁の8母音が,古い日本語の8母音と関係があるという説ですが,現に行われている名古屋弁の8母音と古い日本語の8母音の間に対応がないので,俗説としてはともかく,学術的には否定されるでしょう。東京方言に三河弁が影響を与えたかどうかですが,「いる~おる」については,東京方言においては,いる・おるの双方が使われ,「おる」は「いる」よりも話者側を卑下したり,丁寧な表現にしたりするために使われます。これは,「おる」専用の三河弁よりも,「いる・おる」兼用の上方すなわち京都や大阪の表現にきわめて近いもので,三河の影響は否定されると考えます。次に,「しあさって」に関しては,上方の影響とも,三河の影響とも,或いは東海道を介した影響とも解釈しうるわけで,「三河の影響である」と断言できる根拠が無い以上,「三河の影響かどうかわからない」或いは「三河の影響かもしれない」としか言いようがないと思います。--Haruharu 2006年11月5日 (日) 18:35 (UTC)
Haruharuさん、こんにちは。僕(ウィキ豊)としましては、方言周圏論はこの問題の核心であると思いますが。上方は東北地方や九州に比べれば50音に忠実でしょう。但し、京言葉は標準語に比べても、大阪弁に比べても、50音に忠実ではありません。大阪落語で京の人間は「淀川の水」を「ヨロガワのミル」と発音するとからかわれているように、京都市と大阪市を一緒にすべきではありません。書き間違いかもしれませんが、「帝の声を聞けなかったから」ではなく、帝の顔や表情が拝見できなかったからで、なまじ、「帝のお声のみ聞けた」です。その次、「イロハ坂」の件ですが、東照宮の祭神が三河国出身であることが理由に過ぎません。三河弁が変化したかどうかは僕は知りません。「せまい」→「せばい」や「たるい」→「たりい」は「イロハ」そのものが入れ替わっているわけで、「イロハ」を曖昧に発音しているわけでは有りません。「せばい」「たりい」は正確には誤用と言えば誤用です。好もしいは正式に認められていますので、僕の誤りです。但し、名古屋市民は明らかに「アイウエオ」のどれにも当てはまらぬ音で母音を発音していますので、「イロハ」を明瞭に発音することが三河の言葉の特色であるという記述を撤回はしません。また、尾張国の言葉が「イロハ」が曖昧である記述も撤回しません。名古屋弁と上代日本語の八母音の問題ですが、この関連性は学会で論じる問題であり、学会の動向は僕は知りません。その次の「いる・おる」の問題ですが、三河は「いる・おる」の混在地です。「おる」専用では有りません。なまじ、「おる」専用は京です。近畿関西圏では「おる」、関東では「いる」というべきです。三河が兼用するのは中部だからです。方言周圏論を頭ごなしに否定されてはかないませんが、東京方言を使う人々が関東平野に住むことが不思議な言葉であり、東京方言は三河辺りにあってもおかしくない言葉遣いです。東京都民が「いなかっぺ」と呼ぶ関東人の言葉が関東古来の言葉遣いとすると、東海道を上洛する方向のかなり関東より西の言葉です。ただ、三河では「おる」に謙譲の意は無く、三河が古来近国であり、京(みやこ)言葉に近いという意識だけでしょう。ウィクショナリーには「おる(居る)」は西日本方言になっています。[1]を参照。--ウィキ豊 2006年11月6日 (月) 05:21 (UTC)
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- お返事ありがとうございます。淀川の水~よどがわのみず~よろがわのみるの件ですが,本当にそのような現象が有ったのかどうかは,検証の必要があるとは思いますが,現在の京都でこのような現象は見られませんし,それが証明されるまでは,落語でそのように言われたのは,単に「京都の奴は発音が俺たちとちがう」というのを茶化したのか,本当にそのように発音されていたのかわかりませんよね。ややこしくなってくるので,名古屋弁の50音についての私の意見をまとめます。①名古屋弁には標準語と同じ5母音に加えて,3種類の連母音から変化した母音が存在する。②名古屋弁にある「+3種の母音」は,全てai,oi,ui等からの変化であり,これ以外の原因によって生じた他の母音は存在しない。③単独のaiueoの母音が,上記の3母音に変化することはないし,体系的に5母音相互の入れ替わりが起こることはない。(「うごく」~「いごく」,「いばる」~「えばる」のような(←名古屋弁の例ではない),それぞれの語彙が個別的に起こす音の入れ替わりはあるだろうが)④以上のことから,名古屋弁において5母音~50音という体系自体が曖昧になったわけではない。と,私は考えます。もちろん,①をもって,50音の体系が変わってしまったと捉えることは,できないわけではないと思います。そこで提案ですが,三河弁の項目での,名古屋~尾張弁に関しては,「いろはが曖昧」という漠然とした表現ではなく,連母音の変化によって50音の体系から変化して異なった体系になっているというような表現にするというのはいかがでしょうか。「いろはが曖昧」或いは「50音が曖昧」という表現を使った場合,50音で区別される音が区別されなくなっているという意味にとる人が多いでしょう。次に「いる~おる」についてですが,西日本が基本的に「おる」専用地域であるというのは間違いありませんが,近畿中心部,すなわち大阪や京都は,「いる」が主流の地域です。「いた」の分布ですが,「いた」の分布のようになっています。この図でもそうであるように,本来の,中部地方における「おる~いる」の境界線は,浜名湖付近で,三河全域が「おる」専用地域だと記憶していますが,現在兼用であるとすれば,それは標準語の影響で「いる」地域が西進しているためではないでしょうか。最後に方言周圏論についてですが,方言周圏論は上方を中心にある語彙,文法が同心円分布をし,周辺に古いものが分布している『事もある』ということを示しただけです。方言周圏論によって,周囲に古い表現が存在するといえるのではなく,同心円状な分布が見られ,かつ,周囲が古いものであると証明された結果として,その語彙・文法が周圏分布を示しているといえます。周圏分布という概念を否定するつもりは有りません。東京の本来の方言が,かなり西日本的である点については,三河の影響ではなく,東海道を通じた,三河も含めた静岡以西からの影響と考えます。江戸には日本各地から人が集まっていたのに,三多摩や神奈川はそうではなかったのですから,東京方言が周りの西関東方言よりも西日本的だったとしても,おかしくはないでしょう。--Haruharu 2006年11月6日 (月) 10:12 (UTC)
Haruharuさん、ご返事有難う御座います。ウィキ豊です。大阪落語の「ヨロガワのミル」の件は単なる事実の提示です。京大阪といわれる上方は、東北や九州より「イロハ」は明瞭ですが、なにわ(大阪市)は曖昧な京言葉をからかいます。これは正確に「ヨロガワのミル」と言っているのではなく、人によっては「ヨドガワのミズ」と聞こえる人もいるかも知れません。僕の言う50音が曖昧とはそういう意味です。三河の「うごく」→「いごく」や「いばる」→「えばる」は「イロハ」が完全に入れ替わっており、どちらかと言えば、方言というより、誤用と言うほうが正しいかも知れません。それに対し、尾張国では誤用ではなく、別の音に聞こえてしまうわけです。したがって、カナ表記にすると、聞く人により、表記が異なります。連母音は確かに法則性を保ち、「アイ」→「エァー」や「アウ」→「オー」のような法則にまとめられますので、その点は補充したいと思います。厄介なのは人により、別の音に聞こえる曖昧な音です。11月6日のHaruharuさんの②の問題です。大阪落語上に登場する京訛りの「ヨロガワのミル」も多分そういう音と思います。尾張国の名古屋市内で放送する民放ラジオを生でお聞きすれば分かりますが、言葉を書き取るとリスナーにより表記が異なると思います。これは正用にのっとり発音しているつもりである場合もあり、三河国のようにほぼ誤用とも言える言葉遣いとは異なります。正用により発音したにも拘らず、まるで誤用とも響く発音をしかねぬのが尾張弁です。尾張弁に連母音以外の3母音が無いと言えるでしょうか。これは尾張国特有の「イロハ」の曖昧さと言うべきでしょう。「居る」に付いてですが、「オル」は近畿関西地方(九州を含まぬ)で多用します。「イル」は東北を含む東日本方言ではでしょう。京都市や大阪市の「イル」ないし「イテル」は関東からの移住者の影響でしょう。どうしても大都会は移住者の影響を受けます。方言周圏論の点ですが、京に新たに言葉が生まれてもイナカでは昔の言葉が残るという現象で有名です。京からの距離で言葉が異なるわけです。Haruharuさんも東京方言が周囲の関東西部の言葉より西日本的であることをお認めのようですが、僕の言う三河弁と東京弁の類似もその程度の問題です。東京弁は遠江(トオトウミ)の国より、上方風の言葉遣いが多いです。東海道を「アズマクダリ」してやって来た人間が多いからでしょう。東京横浜は東海道で言えば遠江国の西の三河国辺りに有ってもおかしくない言葉が多いと言うに過ぎません。三河弁の特色と言うと標準語との相違ばかり指摘しますが、標準語の母体とも言う東京言葉が地理的には三河国辺りになければおかしな表現があまりに多いと言うに過ぎません。三河国の影響のみで東京弁が成立したと強弁することは僕個人はしません。但し、中には三河弁が標準語の母体であると言う人がいます。しかし、僕個人はくみしません。--ウィキ豊 2006年11月8日 (水) 05:48 (UTC)
[編集] 三河弁の語彙
「1.関東弁との差異」の「1.2 語彙」の追加欄についてですが、どなたか50音順にして品詞分類して頂けませんか。かつて 「1.特徴的な表現」に入っていました。しかし、「語彙」の節の方がふさわしく、「語彙」へ移動させました。但し未分類です。方言の品詞分類はとても難しいため、我はという方にお願い申し上げます。