三角寛
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三角 寛(みすみ かん、みすみ ひろし)(本名:三浦守 1903年(明治36年)- 1971年(昭和46年))は山窩(サンカ)作家、映画館経営者。大分県出身。僧名釈法幢。
- 大正15年朝日新聞社に入社。説教強盗の報道で話題となる。永井龍男の勧めで小説を書き始め、『婦人サロン』に『昭和毒婦伝』を連載し文壇にデビュー。『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』など山窩小説を開拓し流行作家の道を歩む。昭和37年学位論文「山窩社会の研究」で東洋大学から文学博士号を受ける。戦後は吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らを株主とする映画館「人生坐」「文芸坐」の経営にあたる。また昭和17年に皇国薬草研究所を創立して所長に就き、晩年には埼玉県の桂木寺の住職を務めた。『三角寛全集』35巻、別巻1巻を母念寺出版より刊行中に死去し、未完に終っている。
- 朝日新聞入社以前の履歴には様々な疑問が呈されている。少なくとも日本大学を卒業したという本人の主張は偽りであるとされている。
- 山窩に関する研究は現在でも多くの研究者が資料とするところだが、実は彼の創作・捏造である部分がほとんどであり、(小説家としての評価は別として)学問的価値は低い。
[編集] 参考文献
- 筒井功(著) 『サンカの真実 ― 三角寛の虚構』 文芸春秋 2006年