下志津陸軍飛行学校
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下志津陸軍飛行学校(しもしづりくぐんひこうがっこう)とは、現在の千葉市小仲台にあった大日本帝国陸軍の教育機関のひとつである。
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[編集] 概要
大正7年3月、フランス航空団フォール大佐一行60名を招聘し、飛行機に関する各種技術の伝習教育のため下志津飛行場に来隊。その時の練習科目は飛行機の操縦・偵察・射撃・爆弾投下・通信・写真等であった。フォール大佐の主張から下志津で偵察を主とした教育が開始されていた。大正8年、新設された陸軍航空学校の偵察班となったが、大正10年、陸軍航空学校下志津分校となり、大正13年、下志津陸軍飛行学校へとなった。さらに昭和2年、銚子に分教場を開設、同16年には八街にも分教場を開設して教育にあたった。以後、終戦まで主として航空偵察の教育を行っていたが、太平洋戦争末期の昭和19年6月には、下志津教導飛行師団を編成して戦力化され、戦局が急を告げるに従い特攻作戦の一部を分担することになった。その後、下志津陸軍飛行学校は、特攻基地となったが、下志津飛行場も幾度か空襲を受けたが被害は少なく、多くの施設が無傷のまま終戦を迎えた。
[編集] 所在地
[編集] 学校の沿革
- 1927年(大正7年)3月 フランス航空団フォール大佐一行60名が飛行機の技術伝習教育のため下志津飛行場隊に来隊。
- 1918年(大正8年) 陸軍航空学校]]の偵察班となる。
- 1920年(大正10年) 陸軍航空学校下志津分校となる。
- 1923年(大正13年) 下志津陸軍飛行学校へ昇格。
- 1927年(昭和2年)4月 千葉県銚子に分教場を開設。
- 1941年(昭和16年) 千葉県八街に分教場を開設。
- 1944年(昭和19年)6月 特攻作戦の一部を分担。
- 1945年(昭和20年)8月 終戦を迎え解散。