中島力造
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中島 力造(なかじま りきぞう、1858年 - 1918年)は倫理学者。同志社英学校最初の学生のひとりで開校当初元良勇次郎、上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけた。
[編集] 経歴
1878(明治11)年、新島襄は津田仙の要請を受け学農社の教師として彼を東京に送り出し、それに伴い退学。1880(明治13)年渡米。ウエスタン・レゾルス・アカデミーに入学し卒業後、イェール大学に進学しPh.Dを取得。イェール大学講師を勤めその後、イギリス、ドイツに留学。1890(明治23)年に帰国し、第一高等学校講師を経て帝国大学文科大学教授に就任。倫理学の講座を担当した。わが国に初めてT・H・グリーンの思想を導入。その普及に努め、功利主義から理想主義への倫理学の拡充を図り、倫理学の学としての独立性を確立した。personalityやpersonの訳語として「人格」を定着させたのも彼の功績である(もともと「人格」という語はカント哲学に基づく倫理学的用法によるものだった)。