中川五郎
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中川五郎(なかがわごろう、1949年7月25日 - )は、1960年代後半から活躍するフォークシンガー、訳詞家。
1960年代後半に、関西を中心に起きたフォークミュージックのムーブメント「関西フォーク」の代表的人物の一人。 京都などで行われた「フォークキャンプ」などでメッセージ色の強い曲を歌い始める。 関西「フォークの父」高石ともや、「フォークの神様」岡林信康、東京から京都に来た高田渡に続く高石音楽事務所のプロテストソング歌手の末っ子的存在だった。
1967年3月、当時、大阪府立寝屋川高校の3年生であった中川はベトナム反戦講演会に参加。ゲストで来ていた高石ともやの歌に衝撃を受け、自身も歌を作っていると高石に話しかけたのが最初の出会いである。以来、中川は高石に連れられて様々な会を一緒にまわるようになったがきっかけとなり、フォークシンガーへと進んでいく。
中川五郎が広く知られるきっかけの一つに高石のヒット曲"受験生ブルース"がある。この曲は、中川の詞に高石が人懐っこいコミカルな曲をつけ有名になるが、中川の原曲は、ボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に中川がオリジナルの詞をつけたものだった。 小室等のグループ六文銭とのカップリングアルバム『六文銭・中川五郎』でURCレコードからデビューする。 続いて『終り はじまる』をリリース。
わいせつ表現裁判に苦しめられつつ1970年代前半を棒に振り、1976年妻・青木ともことの生活や愛猫の死などを描いた傑作『25年目のおっぱい』をリリース。 1978年『また恋をしてしまったぼく』(ベルウッド・レコード)を最後にアルバムリリースが四半世紀途絶える。
2004年彼のファンにとって待望の新作がoff noteからリリースされた。 デビュー当時から、2004年にいたるまで地道にライヴ活動は続いている。
フォークキャンプ、中津川フォークジャンボリー、春一番コンサート、ホーボーズコンサートなど多くのイヴェントの音源が残されていて、彼の活動の一端を窺い知ることができる。 また彼は、田舎五郎と魚、ヴァギナ・ファックなどのグループを編成していた。 中川は、洋楽の訳詞や、解説の執筆もしている。キング・クリムゾンの"レッド"など。
[編集] 人
中川五郎とジ・オックスの岡田史郎とは中学時代の同級生であり、二人は史朗、五郎として有名人であった。 二人ともバスケットボール部に所属していたと思う
[編集] ディスコグラフィ
- 中川五郎・六文銭(1969、URC)
- 終り はじまる(1969、URC)
- 25年目のおっぱい(1976、フィリップス)
- また恋をしてしまったぼく(1978、ベルウッド)
- ぼくが死んでこの世を去る日(2004、off note)
- そしてぼくはひとりになる(2006、シールズ・レコード)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の歌手 | 日本のフォーク(ポピュラー音楽) | 1949年生