二本松義継
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二本松義継(にほんまつよしつぐ、1552年(天文21年) - 1585年11月29日(天正13年10月8日))は二本松畠山氏第15代当主。二本松義国の子。畠山義継とも。二本松義綱の父。七郎、左京亮、右京大夫、上野介。法名:月峰円公。
1580年、父・義国の死去によって家督を継いだ。1585年、大内定綱を攻めた伊達政宗と田村清顕に対し、葦名氏と共に大内氏支援をしていたために、定綱逃亡後、本拠の二本松を攻められ政宗に降伏を申し出た。しかし政宗は義継を許さず、二本松のわずかな所領しか安堵しなかった。これでは二本松氏は大名としての地位を維持できず、事実上、滅亡に等しかったとまで言われている。これを恨んだ義継は、和睦会談のときに政宗の父・伊達輝宗を拉致して逃亡しようとしたが、政宗率いる軍勢に追いつかれて逃げ切れず、輝宗と刺し違えて死んだ。これは地名を取って高田原の変(別名・粟之巣の変)と言う。