ノート:五四運動
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- 五・四運動・5・4運動・54運動
(個人的には無闇にリダイレクトを増やさないよう希望 --忠太 2005年7月4日 (月) 17:22 (UTC))
[編集] 五四運動への三一運動が及ぼした影響に関する研究
根拠を示せということなので以下に列挙します。
- 臼井勝美『日本と中国-大正時代-』原書房、1972
- 小島晋治「三一運動と五四運動」(『共同討議 日本・中国・韓国-東アジア歴史教育シンポジウム記録』ほるぷ出版、1985)
- 同上「三・一運動と五・四運動-その連関性 (『朝鮮史研究会論文集〔朝鮮史研究会〕二〇周年記念〔第一六回〕大会特集) -』17、1980.3)
- 小野信爾「三一運動と五四運動」(『植民地期朝鮮の社会と抵抗』未来社、1982)
- 糟屋政和「三一独立運動、五四運動とアジア」(『近現代史の授業づくり 日本史編』青木書店、2004)
上記の他、未見ですが中国人の論文として以下のものがあるようです。タイトルで簡単な中身は分かるはずです。
- 楊昭全「現代中朝友誼関係史的開端-三一運動和五四運動期間両国人民相互支援的史実」(『世界歴史』1979-3)
上記の一部の研究は山根幸夫ほか編『近代日中関係史研究入門』研文出版、1992でも取り上げられ、三一運動と五四運動とが相互連関していることを述べています。いちいち挙げませんが、五四運動のキーマンの一人陳独秀も三一運動に深い関心を寄せている声明を出しています。三一運動が五四運動に影響を与えていることは、最早常識となっています。--Tears for Asia 2006年12月3日 (日) 14:15 (UTC)
- なるほど。ただ既に記述がなされているので問題はないと思います。--59.85.119.17 2006年12月3日 (日) 15:06 (UTC)
- ニュアンスが少し変わってしまいますが。あなたが残した記述のほうがむしろ重要度が低いと思われますが(ロシア革命のインパクトとは別種・別質です)記述量を減らしたいだけなのでしょうか。 --Iosif 2006年12月3日 (日) 19:05 (UTC)
妙な編集をされていますが、どの研究にしたがって編集しているか提示してください。特に「なお五四運動を広く捉える場合、これらを五四運動の文化的側面として含んで指し示すこともあり、それほど深くコミットしていると言えよう」の部分とパリ講和会議の部分についてです。前文は文章表現を改めるならともかく、五四運動の一部として認める研究が多いのであって、事実誤認とは思われません。何故削るのか、そしてどの研究に基づいているか提示して下さい。パリ講和会議の部分はPOVとしていますが、どうしてそうなのか、これもどの研究に従っているのか提示してください。何度も言いますが、具体的な研究の提示なくして、リバートしないでください。--Tears for Asia 2006年12月16日 (土) 07:43 (UTC)