京山幸枝若 (2代目)
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2代目 京山幸枝若(きょうやま こうしわか、1954年4月1日 - )は浪曲師。
初代京山幸枝若には子供がいて、浪曲で三味線の伴奏をする曲師との間に 出来た子だった。その子は母である曲師側に引き取られ興行会社を 経営していた曲師の夫が父親となり子を育てた。子供は成長して学生時代 の半ばはフォークソングに熱中して浪曲には見向きのしなかったが、 友人が持ってきた実の父が口演しているレコードを聞き感動してそれから 浪曲の道を志した。デビューした当時からやはり親子なので名人幸枝若と声・容姿がソックリな事から人気は上がっていった。しかしある日両親から自分の父親が義理の父親であり、本当の父親は自分があこがれている幸枝若である事を告げられた。ショック を受けたが「こうなったら父である幸枝若に弟子入りしよう」と何十年目に 親子として再会してすぐ弟子入りして京山福太郎と名乗った。 ある時は厳しい師匠の関係又ある時は親子になって修行時代を過ごした。 しかし1991年に父親であるり師匠であった幸枝若が亡くなり衰退の一途を だどる浪曲界に一時は諦めを感じたが多くのファンのためにと奮闘し、 2004年「京山幸枝若」を襲名して「二代目京山幸枝若」となった。
[編集] 弟子
- 幸いってん
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