伊達宗敏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊達宗敏(だてむねとし、寛永2年(1625年) - 延宝6年(1678年))は江戸時代の仙台藩一門家臣。玉造郡岩出山要害館主。岩出山伊達家二代当主。伊達宗泰の嫡男。
一門に列し岩出山14000石領した。 岩出山町に現存する藩校の古い学問所「有備館」を建設。寛文3年(1663年)火災で焼失した二の丸御殿の仮居館として建設された。 宗敏の死後、三代敏親が元禄4年(1691年)「春学館」と 命名、学問所を開設し、元禄5年(1692年)現在地(御池小路)に移し、「有備館」と改名し、藩の子弟教育の場となった。
[編集] 系譜
- 妻:
- 伊達敏親(岩出山伊達家3代当主)
- 伊達実氏(伊達基実養子)
- 伊達敏重
- 石川宗恒(石川宗贇養子)
- 女(伊達宗元の妻)