伊達敏親
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伊達敏親(だてとしちか、慶安4年(1651年) - 享保6年(1721年))は江戸時代の仙台藩一門家臣。玉造郡岩出山要害館主。岩出山伊達家3代当主。伊達弾正。伊達宗敏の嫡男。
一門に列し岩出山14000石領した。 父宗敏が寛文3年(1663年)火災で焼失した二の丸御殿の仮居館として建設したものを 元禄4年(1691年)「春学館」と 命名、学問所を開設し、 元禄5年(1692年)現在地(御池小路)に移し、「有備館」と改名し、藩の子弟教育の場となった。 また、寛文年間(1662年~1672年)に家臣を京都に派遣し塗りや蒔絵の技術を習得させ鳴子漆器の発展に貢献しました。
松尾芭蕉の弟子河合曾良の「曽良随行日記」、元禄2年(1689年)5月14日(新暦6月30日)の「四リ半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山ハ正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。」 の伊達将監は敏親の事であると言われている。(実際には伊達将監ではなく伊達弾正でないとならないのだが)
[編集] 系譜
- 妻:
- 養子
- 伊達村泰(伊達宗元四男)