伊達順之助
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伊達 順之助(だて じゅんのすけ、1892年(明治25年)-1948年(昭和23年)6月1日)は満蒙独立運動や山東自治聯軍に参加した大陸浪人・馬賊。父は仙台藩知事・伊達宗敦(順之助は宗敦の六男)。中国名は張宗援。
幼少の折は華族の子に生まれながら、素行が悪く幾つもの学校を転々とした。1909年には不良を射殺するという事件を起こし、一審では重罪を宣告されたが、伊達家の弁護士の依頼により探偵岩井三郎が被害者の素行調査を行い、上告審を有利に進め正当防衛であった事を立証した。
北一輝、大川周明、出口王仁三郎などとも親交が深く、1916年に張作霖爆殺計画、1919年に山県有朋暗殺計画(共に失敗)等、過激な行動が目立つ。
中国に渡ってからは満蒙独立運動や山東自治聯軍に参加した。1929年に張宗昌とは義兄弟の契りを交わし張宗援と名乗る。1931年、日本国籍を離れ中国国籍を得て中国に帰化した。日本軍(関東軍)、満州国、中国国民党、中国共産党の全てと別路線で対立と協調を繰り返し満蒙・山東の独立・自治を目指したようである。
終戦後、戦犯とされ青島拘留所、上海監獄臨時戦犯拘留所、江湾鎮戦犯収容所に収監され死刑宣告をうけ上海監獄に送られ1948年6月1日に銃殺刑に処せられた。
小説「夕日と拳銃」(著:檀一雄)の主人公伊達麟之助は伊達順之助をモデルとしている。
[編集] 系譜
[編集] 小説
- 「夕日と拳銃」(著:檀一雄)-実名でなく主人公・伊達麟之助のモデルとなったのが伊達順之助
- 「秘録夕日と馬と拳銃 伊達順之助」(著:都築七郎)
- 「灼熱-実録伊達順之助-」(著:伊達宗義)
- 「闘神-伊達順之助伝-」(著:胡桃沢耕史)
- 「頭弾」(著:樋口明雄)
- 「狼叫」(著:樋口明雄)