ノート:体 (数学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
体論から移動しました。体論という一つの記事の中に 体の定義から、ガロア拡大直前までだとしても、この一つの記事が本みたいに膨れ上がることが予想でき、誰も手を出せないためです。因みに、英語版では、
- en:Field (mathematics) → 体 (数学)
- en:Glossary of field theory → 体論関連記事のまとめ・索引
- en:Field theory (mathematics) → 体論
という感じです。同じような構造で小記事に分けていくと思います。 元々体論にあったのは体の定義と基本的な性質でしたので、体 (数学)に移動しました。このまま定義と簡単な例でコンパクトに纏めた方がよいと思われますので。--小太刀 2005年4月18日 (月) 08:02 (UTC)
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[編集] Field vs. Division ring
このページの体の定義は、英語のDivision ring にあたるものではないでしょうか?KLIP 2006年5月11日 (木) 04:51 (UTC)
- セクションきらせていただきました。後々の参照のために書いておくと、逐語訳的な訳語としての対応はfield=体、commutative field=可換体、skew field=斜体、非可換体=noncommutative field、division ring=可除環などなどで確立しています。「定義」セクションの末尾に小さい字で説明されているような"field"という言葉自体の意味の揺らぎが「体」にも反映されているのは確かです。しかし、「体 (数学)」に「Field (mathematics)」が対応すること自体は確かなことで、問題になるとすれば記事の中身の妥当性だけです。かっちりとした定義は「可換体とは・・・」として用語の揺らぎの解説をその下に付けるのもいいかもしれませんね。--Makotoy 2006年5月13日 (土) 00:06 (UTC)
[編集] 編集保護のお知らせ
こんにちは、Koba-chanです。短時間に何回かのリバートが起きているので一時的に編集保護の措置を取らせて頂きました。先は長いのでまったりとお願いします。沈静化して編集方針や結論が出ましたら保護依頼の解除を出すか、私のノート宛てに書いて下さればいつでも保護解除致します。しばらく編集できずにご不自由をおかけしますが、執筆者の皆さんには、宜しくご協力のほど、お願い申し上げます。Koba-chan 2006年5月11日 (木) 08:52 (UTC)
[編集] 編集保護解除に向けて
再び保護されてから一週間以上経ちますが、この記事の内容と編集合戦の原因については議論が必要だろうと感じているのに全く議論がないので口火を切って提案します。
この記事の編集合戦は「可除環」、「体」、「斜体」、「可換体」、「非可換体」の関係に明確さがないせいで起きています。 「可換体」と「非可換体」に関しては乗法が可換であるかどうかとしかとれませんが、残りの三つはかなり曖昧なようです。調べてみましたがこのあたりの定義は専門書でもかなり揺らぎがあります。大きく分けて二つ
- 「非可換体=斜体」で「非可換体」と「可換体」をまとめて 「体=可除環」とする派。
- 「可換体=体」で「非可換体」と「可換体」をまとめて「可除環=斜体」とする派。
現在の記事は 1. の考え方に近いです。編集合戦の当事者(DYLAN LENON氏のソックパペットと思わしき方々)は 2. の考え方に固執していて、ゆえに「この定義は間違っている」と執拗に言語リンクを張り替えているようです。
とりあえず可除環(Division ring)という言葉は乗法の可換、非可換の両方を含むのは間違いないようです。
問題は「斜体=可除環、体=可換体」と「斜体=非可換体、体=可除環」という意見の食い違いが数学者の間でもあることであろうと思われます。 例えば書籍では以下のものがありました。
- 1.の考え方をしている本
- 『可換体論』、永田雅宣、裳華房、ISBN 4-7853-1309-9、
- 『群と位相』、横田一郎、裳華房、ISBN 4-7853-1105-3
- 2.の考え方をしている本
- 『環と体の理論』、酒井文雄、共立出版、ISBN 4-320-01595-9
- 『数論入門』、山本芳彦、岩波書店、ISBN 4-00-006878-4
すなわちこのような揺らぎがあることを導入文で指摘して定義の部分で両方の立場を書けば問題ないのではないでしょうか? 例えば
- さらにもう一つ、乗法の可換性に関する条件
- K のどんな元 a, b についても、 ab = ba が満たされる。
- を加えるとき K を可換体と呼び、可換性が満たされない元を K が持つとき非可換体と呼ぶ。
という箇所に
- この可換性の条件を加えて初めて「K は体である」とする主張もあり、この主張を是とする場合は可換の場合と非可換の場合を含めて 可除環、あるいは斜体と呼ぶ。
というふうに 2.の意見を含めるように書けば問題は無いかと思われます(多少読みにくくなるかもしれませんが) 現在、可除環と斜体は共にこのページのリダイレクトですし、一つの定義にこだわらずこの三つ(可除環、体、斜体)を総合的に説明すればWikipedia:中立的な観点からいっても適切だと思われるのですがどうでしょうか? --U-ichi 2006年10月17日 (火) 08:01 (UTC)
- とりまとめの提案と書籍の調査ありがとうございます。僕としては(上にもちょっと書きましたが)「体」という言葉に数学的な定義を与えなくてもいいんじゃないかと思っています。つまり、体という言葉には「体論という名前でくくられる分野の関心の的」というような用法が入ってしまっています。これは「環」に乗法単位元の存在を仮定するのかとか、リー環まで環に含めるようにするのか,そもそも、一つの定義でいつでも過不足ないようにできるか,という問題と似ています。「可換体」や「可換とは限らない体」ならば誰にとっても数学的な定義が明らかなので、かっちりとした形式的な定義はこれらに対して与えることにして,「体」については
- 「加減乗除ができる数の体系を体とよぶ」というような概念的な説明と
- 「可換体や可換とは限らない体という用語は文脈により混乱のない場合には体と省略されることが多い」という注意
- として、具体的な定義にはこだわらない方がよいのではないでしょうか。
- それと、可除環を単純環へのリダイレクトにしたのは僕ですが,これは
- 多項式の係数などの「数の体系」vs. 単純環の特別な例
- という文脈の違いが「(斜)体」を使うか「可除環」を使うかという用語の選択に影響しているかな,という(かなり曖昧な)語感に基づいたものです。
- かなり微妙な問題なので自分の考えをうまく説明できたか自身がありません。意味不明なところはぜひご指摘ください。--Makotoy 2006年10月17日 (火) 12:07 (UTC)
<!-- 改定案が3つありましたがノートの議論が見にくいのでここにコメントアウトしてあります -->
- なんだか見にくくてどこへコメントしたものかよくわからないのですが、とりあえずここに置きます。それで、どの案も現在の版はそのまましたじきにして、注記の内容を整理しようということのようで、そもそも「何が」「どのように」「どうして」問題なのか「だからどうやったら問題がなくなるのか」ということが提案者の文面からはわかりずらく、また各案の変更が一体どういう効果をもたらすことを狙ってのものなのかもわかりずらいです。というよりも、「枝葉末節」であると理解しているにもかかわらず「編集合戦の争点」であるから「セクションを分けよう」というのは、提案者の意図するところが「保護解除のためだけの小手先だけの変更」であると考えられますし、ちょっと問題があるのではないでしょうか。DYLAN LENNON氏が荒らしなのは他人の説明を聞か(け?)ないせいですが、それをおいておくと、この提案の根本は枝葉末節に固執するあまりに記事そのものの目的を見失わせ、結果として文章を破壊しているというDYLAN LENNON氏のものと同根の問題を孕んでいることになると思いますよ。
- 体論とそのメイン対象となる体とを別の記事にしたことで主題が見失われる結果になっているのではないかとは思うのですが、この記事に書かれるべきは、体論という文脈で捉えられる体というものがどんなものであるかということであるはずです、またそれは非可換論の範疇で特殊な「環上の環」として主に語られる体(斜体)を扱う記事とは異なるものだということをきちんと意識して考えられるべきです。そうすると、「定義の揺れ」が一体どちらの流儀をとるかということはこの記事に書かれるべき内容に影響しませんから、揺れを殊更にとりあげることは記事を歪める原因にしかなりません。むしろ、一文程度で軽く触れるだけで十分なのではないかとさえいえると思います。一方、可換性をとくに気にすることなく考えられる概念たちをどの記事で扱うのかということを考えることが根本的に体と斜体の記事を分けるためには必要です。いずれにせよ、各案で手が入っていない部分で「可換性を強調する」ということは十分に行われているとおもうのですが。
- (以下は蛇足・ただの感想です)「(必ずしも可換でない)体」と「可換とは限らない体」は意味としては同じなので文言を書き換える理由がよくわからないのですが、少なくとも「可換とは限らない体」全部まとめて太字に書くと、そのような名称があるかのようにおもわれてまずいんじゃないですかね。あと、可除環という用語はあまり見かけない(むしろ多元体と呼ぶのではないか)と思いますが、どなたか可能であれば文献名をいくつか挙げていただけますか。ついでに、可除環の「環」はringですか、algebraですか。algebraの出てくる文脈で使う気がするんですが。--LILO 2006年11月9日 (木) 20:59 (UTC)
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- 貴重なご意見ありがとうございます。僕としては「枝葉末節」であることにいちいち反応するユーザがいるなら、その項目を「枝葉末節」のままにするのはまずいのではないか?と思って上記の提案をしました(小手先だけの変更というのは自分でも自覚してます)。仰る通り確かに記事を歪めているかもしれませんね。何か良い方法は無いでしょうか。
- 提案した当初は正直「何が問題か?」を僕自身上手く把握しきれていなかったのですが(理由は解っていても何故そこまで固執するかが解らなかった、そのため妙に抽象的な提案になっています)、LILOさんのこの意見を聞いて少しだけ解ってきました。
- >>この記事に書かれるべきは、体論という文脈で捉えられる体というものがどんなものであるかということであるはずです、またそれは非可換論の範疇で特殊な「環上の環」として主に語られる体(斜体)を扱う記事とは異なるものだということをきちんと意識して考えられるべきです。
- つまり、この記事は「体論という文脈で捉えられる体」なのか「特殊な「環上の環」として主に語られる体」なのかが衝突しており、仰るように体論からこの記事が独立しているため主題を何処にするかが問題なのかもしれません。LILOさんはこの記事は体論としての体とすべきで、特殊な環論の部分はバッサリ切る(別記事にする)べきだという意見のように感じられますが、数学のそういった経緯を知らない人(僕自身がそうですが)がこの記事を見て期待することは「体」という単語の数学的な意味だと考えます。要は一般的に教科書などに出現する「体」という単語は何なのかが重要だと思うわけです。そういう意味で両者を包括した、つまり「定義の揺れ」とその理由を意識した記事の方が良いのではないかと僕は考えていますがどうでしょうか?
- 「(必ずしも可換でない)体」と「可換とは限らない体」を書き換えたのは Makotoyさんなので、以下は理由ではなく僕個人の感想ですが、現在の記事は「体は、四則演算の自由にできる代数的構造を備えた集合~」という曖昧な導入文の後に、いきなり「定義」という節があり、しかも「(必ずしも可換でない)体」と括弧付きなので、まるで「本当はこれが体の正しい定義なんだけど、可換体のみを体とする人がいるから仕方なく括弧で注釈を入れている」ように感じられるので、この括弧を外すことには賛成です(確かに太字はやりすぎかもしれませんが)。
- 「可除環という用語はあまり見かけない」というのは僕も同感です、調べた中では唯一
- 『現代数学の基礎16 環と体2 体論』、堀田良之、岩波書店、ISBN 4000106465、1998年
- という書籍に「体(field)または可除環(division ring)という」という記述があったぐらいです(とりあえず可除環の環はringになっていました)。
- とりあえず僕の意見としてはこんな所ですが、文才の無いことは誰より自覚してますので変な部分はご指摘下さい。--U-ichi 2006年11月10日 (金) 10:11 (UTC)
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- 現在の記事の文面を見るに、何の逡巡も無いまま現在の記事になっているのではないと私は信じています。「何か良い方法」のひとつとして、さほど問題のない定義部分という「枝葉末節」でウダウダ言うのを直ちにやめて、この記事のもっとも問題であるほかの部分の記述の少なさ・文脈のなさをナントカすることに注力すべきだろう、という提案をしておくことにします。
- とりあえず一つだけ言っておきたいのは、現象面だけ見てみれば「定義の揺れ」という言葉が当てはめられてしまうだろうけれども、その言葉で括って分かったような気になって「単語は文脈に即して理解されて初めて意味を持つ」のだという至極当然のことを見過ごしてはいけないということです。
- あとはまあ、U-ichiさんが立派な「両者を包括した記事」とやらをお書きになられるのをお待ちしていますよ、とだけ申し上げておきたいと思います。どうすべきかを考えれば考えるほど面倒なことになるというのはU-ichiさんご自身が一番ご存知でしょうから。--LILO 2006年11月10日 (金) 11:01 (UTC)
- 後の参照のため少し補足しておきます。「枝葉末節」というのは「論理的に取るに足らないつまらないこと」の意味で用いており、これを枝葉末節でなくすることはできません。またこの枝葉末節を針小棒大に取り上げることはNPOVに反すること、つまり記事の破壊を意味します。このことはNPOVが含む様々な示唆を抽出したものであるガイドラインのなかに(直接的ではないものの同様の思想的枠組みとして)wikipedia:大言壮語をしないやwikipedia:言葉を濁さないなどとして見つけることができます。
- また、私が述べているのは、斜体というのは環として扱われるものであるということ(体を論じるというのとはアプローチがまったく別なものになるだろうということ)であり、体という観点から記事を書くならば、記事は自然と体論に依拠するものとなるだろうと言うことです。このことは定義を広く取ろうと狭く取ろうと変わりません。--LILO 2006年11月19日 (日) 09:03 (UTC)
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- コメントありがとうございます。僕の書き込みは確かに説明不足になっていました。すみません。LILOさんの2006年11月9日 (木) 20:59 (UTC) の書き込みへの返答として、上でU-ichiさんが説明されていることに少し付け加えさせていただくことにします。DYLAN LENNONのsock puppetによる今回の荒らしの原因を彼本人に聞くことはもう無理そうですが、ノート:ウェダバーンの定理などでのやり取りから推測するに、この荒らしの原因は
- (上でU-ichiさんが調べてくれたように)「体」の指し示す範疇が二種類あり、DYLANは「体=可換体」にこだわっている
- 現在の記事はそのうちDYLANが信じているのとは反対の立場を取っているような印象を与える(読み手によっては):これは必ずしも可換でない体の定義のところで「体」のみが太字になっていることや、脚注として小さなフォントで説明されている部分が読み飛ばされやすいからです
- 実際のところは現在の記述は二つの「立場」のどちらかを選んで他方を排除するようなものにはなっていません。そもそも、この問題は二つの相容れない数学者グループの間の用語の違いというようなものではないはずで、一人の数学者が文脈によって「体」という言葉を異なった意味で用いることは十分あり得ます。二つの相容れない流儀を中立的に紹介するのではなく、文脈によって意味のかわる省略語だとするのが適切なはずです。もちろん記事は内容が誤解されずに伝わるようなものが望ましいので、今回の荒らしへの対処は定義部分の表現の変更をするのが妥当でしょう。その意味では「小手先の変更」になってしまうのはやむを得ないことだと思います。「可換とは限らない体」は確かに確定した独立の数学用語という訳ではないので、僕の第二案にあるような「体(精確には可換とは限らない体)」というかき方はどうでしょうか。
- この荒しとは関係ないことだと思いますが、LILOさんが指摘されたように、今の記事には体に関係したトピック・パラダイムの記述が少ないという問題もあります。僕が上で「フランス語版の構成を目指したい」といったのにはそのような問題意識が念頭にありましたが、今回の問題への対処からは話がずれていくと思い。ちゃんとは書きませんでした。保護解除の暁には僕もフランス語版などを参考に加筆させていただこうと思います。
- 最後に、「可除環」についてですが、division ringかdivision algebraかと言うのはあまり区別にこだわらないでもいいように思います。div. algebraの方は、基本になる体を一つ固定してその上の多元環(線形環)になっているようなdiv. ring のことをさすのが普通でしょうが、そもそもdiv. ringを考えるときは線形環のカテゴリーで考えるのがほとんどのはずです。文献はブルバキも「可除環」がでてきていた気がします(うろ覚えなので違うかもしれません)。いずれにせよ僕は可除環にこだわる気はないので斜体でも(もしたくさん使われているなら)多元体でもかまいません。-Makotoy 2006年11月10日 (金) 13:37 (UTC)
- コメントありがとうございます。僕の書き込みは確かに説明不足になっていました。すみません。LILOさんの2006年11月9日 (木) 20:59 (UTC) の書き込みへの返答として、上でU-ichiさんが説明されていることに少し付け加えさせていただくことにします。DYLAN LENNONのsock puppetによる今回の荒らしの原因を彼本人に聞くことはもう無理そうですが、ノート:ウェダバーンの定理などでのやり取りから推測するに、この荒らしの原因は
現時点で、保護解除を急ぐ理由は無いように思います。体そのものというより、関連したトピックを並べたいだけなら、幸か不幸か体論という項目もありそこに書いてもいいわけですし、この項目を書きたいのだとしても、この項目を直接編集しなければならない理由もありません。他の所で書いて、一時的な解除により置き換えることも可能でしょう。この程度のスタブの段階から、くだらない表面的な議論によって、細かい表現まで固めてしまい、編集の自由度を奪ってしまう位なら保護のままでいいでしょう。DYLAN LENNONさんによるものかどうかは知りませんが、そういった理由での方針転換は後々、同様のワガママで他の記事も同様に譲歩していかなければならなくなるということも、当然、受け入れないといけません。彼は、他の多くのくだらない問題にも関わっています。本人と話せないのであれば、なおさら意味の無いことです。フランス語版にあるあのどうしようもないスタブを真似して、何ができるのかはわかりません。構成は大事な事の1つではありますが、内容が先で後からついてくるものなので、構想があるのであれば、自由にやってください。構成を先に決めてしまうと、こういう情けない状態になることもありますので、注意は必要かと思いますが。知ってる言葉を並べて構成を決めてあげただけで、長い間放置されていた項目がこの項目です。保護が解除されて、頻繁に書き換えることができるような状態に戻ったとしても、makotoyさんの方で、一度、書いたとしても、そこから先、保護が解除され続けなければならない理由はあまり無いように思います。というわけで、このように表面的でくだらない保護解除案などを長々と書く暇は、記事本文の執筆にあてていただければ幸いです。--132人目 2006年11月12日 (日) 04:57 (UTC)
- はじめまして。どのような集合を「体」と呼ぶことにするかは、さほど重要でないと考えます。定義を与えた後に、他言語とのリンクで、齟齬をきたさないようにすることのほうがむしろ重要だと思います。現在のなされている定義の「体」では、Division Ringが相応することが誰の目にも明白です。そのことをふまえたうえで、体の定義に関する私の意見は次の通りです。現記事にいみじくも書かれているように、最近では英語流にあわせるのが流れなのだから、「体」を可換体として定義し、新たに斜体の記事を作っては?J V 2006年11月13日 (月) 17:19 (UTC)
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- いわゆる英語文化中心主義を現実に先走って押し進める必要はないし、そんなことをするのはウィキペディアの理念にもとります。ウィキペディアは百科事典であって教科書ではないので、きれいにまとまった一つの話を作り上げようとするよりも、現実に体という言葉のさす範囲が曖昧であることを反映させる方が重要だと思います。斜体について書くべきことがある場合にはまずこちらの方に加筆してみてください。斜体と体とを分けてしまうのは弊害もあるので、別記事として独立させるのは斜体プロパーな内容がじゅうぶんに蓄積してからのほうがいいと思います。--Makotoy 2006年11月13日 (月) 23:30 (UTC)
「体」といったときに、可換体をさすことと、斜体を指すことの二つがあるというだけで、現実は曖昧になどなっていません。曖昧を許せばいかなる数学も成り立ちません。もちろん、どのように定義するにせよ、二つの使われ方があるという情報は絶対に載せるべきですが。J V 2006年11月14日 (火) 06:57 (UTC)
- 僕は「曖昧」と言う言葉でJ Vさんがおっしゃるように、「体」といったときに、可換体をさすことと、斜体を指すことの二つがあるということを言おうとしていました。誤解を招く言葉遣いになってしまったようですみません。それでは
- 上に挙げられている修正案が体 (数学)の記述として妥当であること
- この項目で可換体と斜体の両方を記述すること
- interlangはen:Field (mathematics)などに貼ること
- で皆様の合意が得られたということでよろしいでしょうか。--Makotoy 2006年11月14日 (火) 10:05 (UTC)
- わたしは132人目さんに同意で、今は何も決めないのが妥当だと思います。現状の記事本体の文面で何か問題があるということはない、ということは既にここまでになされた議論でみなさんの共通認識として得られたのではないですか、ですから記述の整理は可能だとしてもあわてて下手に弄るのには反対です。また、あまりに広すぎるので基本的にポータル的な記事になるでしょうけれども、本当にちゃんとトピックを集めてこられるのなら斜体の記事を構成することはありえます(安易に作れるものではないので、荒らしの皆さんは勘違いしないように)から、ここに斜体に関する全てをまとめるのかというとこれにも同意できません。ちゃんとどちらの記事にあるのが相応しいトピックかは常に悩まれなければなりません。言語間リンクについては、一人の荒らしが暴れていただけのことですから他の二つとは話が別で、特にとりあげてどうこうすること自体が荒らしへの加担となります。これはこのままであるのが尤も妥当です。--LILO 2006年11月14日 (火) 14:27 (UTC)
問題は、今の記事が最近の意味で言う「斜体」に該当するものであって、「体」に該当するものでないということだと思います。にもかかわらず、Fieldにリンクされているのが矛盾している所です。J V 2006年11月14日 (火) 19:56 (UTC)
- 矛盾していません、DYLAN LENONが定義の字面という木だけ舐めて文章全体という森をまったく見ていないことがよく分かる発言です。既に英語版も巻き込んだ各所で繰り返し言われているのに理解する能力の無いDYLAN LENNONのソックパペットに向かって言っても詮無いことですが、他の方も目にされるはずですからもうすこし書いておきます。
- ためしにen:field (mathematics)とen:division ring・en:division algebraとを見比べてみてください。これらで扱われている内容はまったく違う(たとえばdiv.alg.なら積が非結合的な非結合代数の場合にも踏み込んで書かれていますが、fieldではそれを扱っていません)ということが理解できるはずです。そして(非結合代数を扱わない文脈を有する)本項目と最も近い内容を持つものに該当するのはen:field (mathematics)であり、言語間リンクは正当に行われていることになります。
- もっと別の観点から考察することも可能です。定義がまず広く取ってから書くにせよ、狭く取ってから書くにせよ、可換・非可換の別が重要な意味を持つ場面では常に形容詞を冠して明確化をはかり混同を回避します。このことは、定義が完全に全ての文脈を支配するということではないということを意味します。
- 定義が支配力を発揮するのは、せいぜいが定義から直ちに従う命題群に対してのみです。このことのいい例がDYLAN LENNONが文脈を無視して各所に書き込んだ「途中から全て0が続く無限列をあらかじめ排除する定義によって小数展開は一意」という趣旨の文章です。この狭い文脈では例外に当たる一意的でない部分が無いほうがステイトメントがスッキリしますので、この狭い定義はよい定義といえます。一方で、どこかでMakotoyさんが説明してくださっていたと思いますが、その狭い定義での小数展開に対して演算を定義するとか、もっと広い文脈におくと不都合にぶち当たるために例外処理が増えてかえって議論の見通しがわるくなり、また論理的にも一意的でない部分が多くあるということが実数と小数展開表示とは別物であることを示すよい材料であるため、0の続く列を排除しない広い定義のほうがこの文脈にとってはよい定義であると考えられます。このように、定義は文脈を支配することはできず、逆に文脈がその文脈に適した定義というものをある程度まで統制してしまうと考えることができます。
- 要するに、まず本記事の内容は定義の形式に拠らずen:field (mathematics)に応ずる内容を持ちますから、その内容が読みやすいように記述するために都合のよい定義を使えばいいということになるわけです。それを踏まえて本文へ返ると、「(必ずしも可換でない)」という留保を示す語は、「体とは」から始って「可換性まで含めて」を定義文と読むことも、含まない部分までを定義文と読むことも、両方可能なように付けられていると解すれば「定義の揺れ」というものをとりあげるに効果があるかもしれないと考えることもできるのではないかと思います(たとえばここでもし非可換性をもっと強調してしまうと逆に文脈を壊してしまうことになります)。もちろん、危ういバランスの上に成り立つ、判りにくいレトリックは有害であると評価することも当然あることで、たとえば「可換体とは」と書き始めることももちろんよくできた定義を与えることでしょう。
- しかし繰り返しになりますが忘れてはならないのは、それを書き換えるとしても本文の内容にほとんど何の影響ももたらさないという事実です。本記事の問題点は定義文の細かな表現の違いなどではありません。--LILO 2006年11月19日 (日) 09:03 (UTC)
[編集] カテゴリ
Category:数学に関する記事 の付加を Wikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼 で依頼されていますが、つけてもよろしいでしょうか。--Calvero 2007年3月3日 (土) 17:22 (UTC)
- OKだと思います。同時に依頼された他の記事についても賛成です。ついでに秋葉忠利は保護タグも貼った方がよさそうです。これらの編集は議論の余地がないと思うので明日までに書くノートに異論がでていなければ僕がやっておこうと思います。(もちろんCalveroさんがやっていただいてもかまいませんが。)--Makotoy 2007年3月4日 (日) 00:55 (UTC)
- 数学PJなどでこうすべし、という決定がなかったことと、Category:数学に関する記事 のノートでちょっと議論になっていたので躊躇していました。作業お疲れさまでした。--Calvero 2007年3月5日 (月) 13:58 (UTC)