Wikipedia:言葉を濁さない
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- 「この方針の名称・精神に異論を唱える人がいます。詳しくは、en:Wikipedia talk:Avoid weasel wordsを参照してください。」(訳注: ただし、日本語版の議論では特に反対意見はありません。参考:直訳すると「イタチ語を避けよ」)
- Some people disagree with the name and/or spirit of this policy. See en:Wikipedia talk:Avoid weasel words.
言葉を濁すとは、曖昧な言い方をし、意見を匿名の情報源(ソース)に基づくものとすることによって、文章に偏見を持ち込んでしまうことです。言葉を濁すことにより、意見の出所が信頼できるものかどうかを読者の判断に委ねることなく、文章を権威づけることができます。もしもある文章が言葉を濁さずには成り立たないのであれば、その文章は中立的な観点に欠けていると言うことになります。このような場合には、意見の出所を見つけるか、またはその意見を削除するべきです。
以下の一文は、明らかに偏った文章です。
- モントリオールは、世界で最も格好いい都市である。
言葉を濁すことによって、中立的な観点に立っているという思い違いを起こさせることがあります。
- モントリオールは、世界で最も格好いい都市であるとも言われている。
二番目の文章は、最初の文章に比べて確かに改善されてはいます。なぜなら、意見はもはや事実としては書かれてはいませんから。しかし、まだ情報が不足しています。誰がこれを言っているのでしょうか? あなた? 私? いつ言ったのですか? どのくらいの人がこう思っているのですか? どういう人々がこう思っているのですか? そう言っている人々はどこにいるのですか? そう言っている人々はどのような類の偏見を持っているのですか?
曖昧な表現は、実際には中立的な観点をもたらしません。それは単に噂をひろめるだけか、個人的な見解をほのめかすだけです。ある意見を匿名の情報源によるものとするよりも、その意見を述べている主体の名前や姿をはっきりさせることが望ましいやり方です。
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[編集] 曖昧な言い方の典型例
Wikipediaでしばしば見られる曖昧な言い方には、以下のようなものがあります。
- 「ある人は……と言っている」 / 「(不特定多数に)……と言われている」
- 「……は……であると広く見なされている」
- 「……は……であると広く考えられている」
- 「……は……と呼ばれている」
- 「……と信じられている」
- 「……と提案/忠告/決定されている」
- 「……であると信じている人もいる」
- 「……であると言われている。」
- 「……と言う人もいる」
- 「……という話がある」
- 「調査によれば……」
- 「専門家・評論家は……と言っている」
- 「多くの歴史家は……と論じている」
- 「明らかに……」
- 「伝えられるところでは……」
- 「真摯な学者・科学者・研究者は……」
- 「主流の学者・科学者・研究者は……」
- 「……という指摘もある」
- 「……という批判もある」
- 「……という声もある」
- 「……で知られている」
- 「……とされる」
[編集] 中立性を損なう危険性以外の問題点
これまで述べてきたように、言葉を濁す(曖昧な言い方を用いる)ことの主たる問題点は、Wikipediaの中立的観点に抵触すると言うことです。しかし、この他にも以下のような点が問題となります。
- 受動態
- こうした曖昧な言い方は、しばしば受動態を使用しており、文章を分かりにくいものにしがちです。
- 冗長性
- 言葉を濁すことは、文章を間延びさせ中身の薄いものにします。
- 入り組んだ文
- 言葉を濁すことは、文章を入り組んだものとします。「四角形には辺が四つある」というのは簡潔な文です。しかし、「四角形には辺が四つあると広く考えられている」という文章では、その真意が通りにくいものとなってしまいます。
- いくらかの・多くの・大部分の・すべての・わずか
- 「多くの人々が……と考えている」「……として知られている」「……で有名である」というような言葉の濁し方は、あることをどれだけ多くの人が実際にそう考えているのか? といった議論に発展しやすいものです。それはいくらかの人々を指すのか? それとも大部分の人を指すのだろうか? どれだけ多数であれば「多くの人々」なのだろうか? ……通常、ある見解を支持するための手段としては、このような記述は避けるべきです。
- 「など」の多用
- 「など」の多用はあたかもそれを多く見せかけるように濁しており、読者の混乱を招く原因になります。省略しなければならないほど長い場合以外は、使用は控えるべきです。正確性のない情報であれば、それは除去されるべきです。出来るだけ簡潔に。
[編集] 基本的ガイドライン
- 本当に事実なのであれば、曖昧に書かずに断言してください。
- 日本語では曖昧に書くことで文章を和らげることもありますが、百科事典では事実とそれ以外は明確に区別されるべきです。
- 特定の人々がそう言っているならば、代表的な人物を具体的に挙げてください。
- その意見を述べている代表的な人物を挙げられないならば、それは個人的な見解を中立的に見せようとしているおそれがあります。
- 可能な限り具体的にしてください。
- 「二酸化炭素は地球温暖化の原因であると言われている」は「二酸化炭素の温室効果が地球温暖化の原因であるという説は有力である。気温上昇と二酸化炭素量の相関や熱吸収に関する実験から、大多数の科学者はこれを支持している」と書くことができます。
- 少なくとも限定してください。
- 「ブラームスは、最も偉大な作曲家の一人である」という日本において強い見解は、具体的な論者や根拠を挙げることは難しいかもしれません。しかし、少なくとも「日本やドイツでは、ブラームスは最も偉大な作曲家の一人として評価されている」と書くことはできます。もし可能ならば、人々の何パーセントがその評価を支持しているのかを書くとなお良いでしょう。
- その文章を裏付ける証拠を添えてください。
- 根拠を挙げるのが難しい場合もあります。「うさぎとびは足腰を鍛えるための運動であると信じられていた」というように、事実に反するが世間で漠然と信じられている(いた)見解などはそうです。しかし、一般に浸透していない見解を述べるときにはその根拠を挙げられるはずです。挙げられないならば、それは偏った意見を広めようとしているだけでしょう。
- 曖昧なことを断言してはいけません。
- 執筆者の調査の結果、曖昧にしか判明しなかった場合があります。本当は曖昧にしか判明していないのに断言するということは、記事において虚偽を述べるということです。ただし、執筆者は曖昧に書かずに済むように最大限の努力をしましょう。
[編集] 曖昧な言い方の改善例
[編集] 意見の持ち主を明示する
以下の一文は、とある曖昧な書き方です。
- ジョージ・W・ブッシュは半文盲かもしれないと示唆する人々がいる。
次の一文は、曖昧さという点では同じです。
- 大統領に批判的な人々は、ジョージ・W・ブッシュは半文盲かもしれないと示唆している。
こういうことを言う人は誰もが、「その定義から」批判的な人なのです。これは、循環論法です。著者は、その意見の情報源を探し以下のように加えるべきです。
- 作家マイケル・ムーアは、彼の著書「アホでマヌケなアメリカ白人」の中で、ジョージ・ブッシュに対して公開質問状を書いた。その中で、彼は「ジョージよ、あなたは大人のレベルの文章を読み書きできるのか?」と質問している。
上記のように情報源を加えることにより、読者が自分自身で情報源の信頼性を検討できるようになります。
[編集] 意見を具体的な事実に置き換える
また、大言壮語を含む文章は、しばしば曖昧な言い方を使って書き換えられます。例えば、
- ニューヨーク・ヤンキースは、歴史上もっとも偉大な野球チームである。
という文章は、
- ニューヨーク・ヤンキースは、歴史上もっとも偉大な野球チームであると考えられている。
という文章で置き換えられがちです。確かに、ヤンキースのファンは何百万人もいますし、また何千人もの野球専門家がヤンキースを史上最高のチームに選んでいます。しかし、このような意見の持ち主がたとえたった一人であっても、その意見の正しさを証明する方法があります。その秘訣は、大言壮語を取り除くことです。
- ニューヨーク・ヤンキースは、ワールドシリーズで26回優勝している。これはヤンキースに次ぐセントルイス・カージナルスの優勝回数の約3倍となっている。
具体的で事実に基づく情報にこだわることによって、事実ではない意見を述べずに済むことになります。ただし、明確な意見の表明を含まない記事であっても依然として、偏ったものでありうること、例えばどの情報を示すのかという選択自体において偏っているかもしれないことにも注意してください。