俊じょう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
俊芿(しゅんじょう、仁安元年8月10日(1166年9月6日) - 嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日))は、鎌倉時代前期の僧。出自については不詳である。肥後国の出身。字は我禅。号は不可棄。勅号は大興正法国師。
1183年(寿永3年)18歳の時に出家剃髪し、翌1184年(元暦元年)大宰府観世音寺で具足戒を受けた。戒律の重要性を痛感し1199年(正治元年)中国(宋)に渡った。径山の蒙庵元総に禅を、四明山の如庵了宏に律を、北峰宗印に天台教学を学んで、12年後の1211年(建暦元年)日本に帰国して北京律(ほっきょうりつ)をおこした。俊芿に帰依した宇都宮信房に仙遊寺を寄進され、寺号を泉涌寺と改めて再興するための勧進を行った。後鳥羽上皇をはじめ天皇・公家・武家など多くの信者を得て、そこから喜捨を集め、堂舎を整備して御願寺となり、以後泉涌寺は律・天台・禅・浄土の四宗兼学の道場として栄えることとなった。