保篠龍緒
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保篠 龍緒 (ほしの たつお 1892年11月6日 - 1968年6月4日) は、作家、翻訳家、『アサヒグラフ』編集長。
モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン(リュパン)」シリーズの翻訳で知られる。
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[編集] 経歴
長野県出身。本名・星野 辰男。東京外国語大学仏文科卒業。
大学卒業後は文部省(当時)に勤務。1918年、神田の書店で、ルブラン作「怪盗紳士ルパン」フランス語原書を見かけ、ユニークな題名にひかれて購入、翻訳してみたら星野自身が内容の面白さに引き込まれたと伝えられる。
文部省役人としての立場上、本名で翻訳活動にあたることを憚り、本名の漢字を入れ替えて筆名とした(保篠竜緒という表記もある)。
1918年、金剛社から保篠による最初のルパン翻訳「怪紳士」出版。この金剛社刊のルパン作品は好評を得て、保篠訳ルパンはデビューして早速シリーズ化、保篠は次々にルパンシリーズを翻訳していく。このシリーズの一編として18年発売された「奇巌城」は、原題から離れて保篠が考案した訳題であり、内容を的確に捉えた名タイトルとして知られることになる。また、同シリーズで、フランスでも新作だった「虎の牙」上巻・下巻を、上巻「虎の牙」、下巻「呪の狼」としていち早く日本初訳して、紹介している。
25年、平凡社発行の「ルパン全集」全12巻(別巻2)では、日本初訳となる「緑の目の令嬢」(保篠による訳題は「青い目の女」)、「謎の家」(保篠による訳題「怪屋」)などを加え、当時発行されていたルパンシリーズをほぼ網羅している。
"Lupin"を「ルパン」とする表記は(フランス語の"Lu"の発音は「ル」より「リュ」に近いとされる)保篠が考案者であるとも言われる。この点では異説もあるが、保篠が日本人にとっての呼びやすさなどを考慮して、「ルパン」を使用し、その呼び方の定着におおいに貢献したのは確かであろう。
戦時中は陸軍軍属としてニュース映画製作にあたっており、ベトナムで終戦を迎えた。そのような経歴から、戦後は一時期公職追放となっている。
公職復帰後は、再び活躍してルパン全集を何度も刊行。1968年に死去している。
[編集] 翻訳の特徴
保篠が翻訳家として活躍し始めた当時は、著作権の概念はまだ一般的でなかったが、その時代にあって、保篠はルブランに翻訳権料を支払い、正式に権利を取得したうえで翻訳を行なっていた。そのように手続きを踏んでいたこともあってか、ルブランから原稿をそのまま入手して翻訳にあたることもあった。
保篠訳は格調高い名調子で知られ、長く「ルパンといえば保篠訳」という時代が続いた。
ルパンシリーズの中でも傑作長編として知られる作品「奇巌城」の訳題を考案した(原題は「虚ろの針」といった意味)のは保篠であり、この表題は現在の翻訳者たちも採用する名タイトルとなっている。他に保篠による名タイトルとしては、登場人物の特徴から発想したという「呪の狼」(現在「虎の牙」下巻として知られる原書につけた訳題)が挙げられる。
その翻訳は原文を注意深く参照したうえで綴られた保篠流の名調子であり(必ずしも原文に忠実ではないとの指摘がある)、また物語を改変した箇所も確認されていて、厳密な全訳とはいえないが、その事実を含めて考えても、彼の訳業は戦前・戦後日本の「ルパン受容史」の中で欠かせない重要な仕事であったといえる。
「保篠ルパン」は現在入手が困難になっており、復刊を望む声も聞かれる。
[編集] 逸話
原書の雰囲気を日本語に移植するため、ルブランの文章の調子に似た日本の作家の文章を探して参考にしたり、原文・訳文をそれぞれ音読して語調を確認、訂正していくなどの苦心を重ね、「名調子」を組み上げていった。真夜中の翻訳作業中でも、何かあると構わずに大声をあげていたので、家族を驚かせるのもしばしばだったという。
フランスへ旅してルブランと杯を交わせなかったことが心残りであったといわれ、没後、1995年に長男和彦氏がフランスへ旅した際に、保篠の遺骨を一部セーヌ川に流し、保篠夫妻の写真をパリの公園に埋めて、父の供養とした。