入佐俊家
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入佐 俊家(いりさ としいえ、明治35年(1902年)4月26日 - 昭和19年(1944年)6月19日)は日本の海軍軍人。戦死後二階級特進して海軍少将。鹿児島県出身。海兵52期。
日中戦争時から陸攻隊を率いて多大な戦果をあげ、その技量と用兵から「陸攻の神様」「海軍の至宝」と言われた。常に指揮官先頭を実践し、部下からも上司からも絶大な信頼を寄せられた。鹿屋空飛行長で太平洋戦争開戦を迎え、南方進攻作戦に活躍、その後海軍兵学校教官として内地へ帰還するが、昭和19年3月、再建された第一機動艦隊の601空司令兼空母「大鳳」飛行長として新鋭空母大鳳に乗り組むことになる。小沢治三郎長官たっての希望で異例の人事であった。あ号作戦発令後、マリアナ沖海戦に臨むが、6月19日、大鳳爆沈の時に艦と運命を共にした。戦死後、その功績に対し、二階級特進、海軍少将に任ぜられた。