ノート:共産主義
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>資本主義社会においてよく言われる私有財産の廃止でなく、社会的生産手段(工場、土地など)の私有の廃止がその核心であり、個人的な必要に使用される財産は逆に社会主義社会において再建されるとされる。 この部分ですけどまさしく北朝鮮において国家が生産手段を握った結果、国民の私有財産を後回しにしたという決定的な実例がありますね。生産手段ってのは言ってみれば砂漠の井戸、幾ら水は個人の物であるといっても水を配分する井戸さえ国家が抑えたら個人のものじゃなくなるわけだ。
"共産主義国家の実態"の項が「~でるという摩訶不思議な大変危険な思想である。」など、著者の主観が入りすぎているように思うのですが如何でしょうか
極端に偏りがある内容だと感じます。そもそも、百科事典である以上中立的な見方で見なくてはいけません。 中立的にかけないのであれば、概要(説明)以外すべて削除するべきだと考えます。
明らかに中立的な内容ではなかったので、大幅に削除させていただきました。これから編集される方はできるだけ中立的なものにしましょう。
別に全て削除せずとも、中立的な内容に我々が書き直せばいいような気もしますが・・・まあ、前文はひどすぎたような気もするので削除が妥当でしょう。
「ML主義」というのはマルクス・レーニン主義の略として既に定着しているもので、毛沢東・林彪の略ではありません。かつて、ごく一部の者があるセクトの人間が毛沢東に傾倒していたことからMLは毛沢東・林彪だと揶揄するのに使っただけの話でしょう。
"日本が世界で唯一成功した共産主義国"というのは一種のレトリック的な表現で、実態も思想も共産主義とはかけ離れています。コメントアウトしておきました218.225.39.62 2006年3月11日 (土) 07:51 (UTC)
この加筆によって「共産主義の現在」というセクションが設けられましたが、一節まるごと「論評」もしくは(誰のものかわからない)「解釈」になっていないでしょうか? とりわけ「そのため逆に21世紀を迎えた今日こそ共産主義革命の好機だと主張する」という記述は、誰がそう主張したのか書いていないので、セクション自体の「評論」感を強めていると思うんですが....。--Iosif 2006年9月5日 (火) 01:03 (UTC)
「日本=共産主義国家」論の項は、少しですが中立性に難があるような気がします。
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[編集] フリーソフトウェア運動と共産主義の部分
既存の記述をこの項目に移動した上で大幅に加筆したのは自分ですが、その後書き換えられた部分で意味が大幅に曖昧なものとなり、180度ひっくり返されてしまっている部分さえあるのですが、このあたりの説明を求めたいです。
まず
>LinuxカーネルをGPL(GNUパブリックライセンス)のもとで公開したリーナス・トーバルズ(本人の両親が共産主義者であり、その影響があったことは認めている)などのコピーレフトによって構築され、事実上その根幹の多くをこれらフリーソフトウェアに依存するまでに至った現在のインターネットの性質や環境を、「共産主義(ドット・コミュニズム)である」と指摘するケースがある。
- このコピーレフトの部分を自分は「成果」と書いていたのですが、現在のインターネットを構築するソフトウェアの多くが広義のフリーソフトウェア運動の成果にあることにはもはや疑いの余地はないものの、それらが一律にGNUやGNUパブリックライセンスというフリーソフトウェア運動の一部に過ぎないものの下にあるかのような現在の改変は、現実に即していない(フリーソフトの全てがGPLを採用しているわけではない。これらをコピーレフトと形容することは明確に誤りである)と指摘せざるを得ません。
- またこれら広義のフリーソフト運動をドット・コミュニズムと指摘する文脈は、言い換えれば共産主義の対極といえる資本主義の支持者が一方的に揶揄する文脈で用いるレッテルであり、こういった背景(特定のイデオロギーの支持者が論敵を一方的に揶揄しているに過ぎない)を説明せずに彼らの主張を代弁することは、公平性を欠き百科事典としても望ましいものとは言えません。また
>このような、指摘が出現した背景としては、フリーソフトウェア運動側に肯定する人々がかなりいることが原因とされる。
- 自分の記述がここでも中途半端に改変されてこれらの文脈を補強する形にされてしまっていますが、フリーソフトウェア運動の参加者や支持者に共産主義者が「かなりいる」とミスリードを誘うような記述も典型的なFUDに過ぎず、そもそも政治運動とはかけ離れた広義のフリーソフトウェア運動に対して共産主義のレッテルを貼ることは妥当ではなく穏当を欠くといった記述も全て削除されてしまっています。そもそも「かなりいる」とする根拠が提示されておらず、また「かなり」という曖昧な記述も妥当とは言えません。
>その理念の根幹は「free(このfreeは、無料ではなく自由という意味)」であり、ひとえに「ソフトウェアの配布と使用の自由」を永続的に守るために厳格なライセンスの適用と履行を行うことにあるとされるが、これで共産主義ではないとするには共産主義の位置付けからして無理であり、資本論の第3巻の存在への無理解からマルクス主義者側が反応しつつある。
- この段落も、後半が改変され全く意味不明なものとなっています。
>ブラジルでは、「共産主義」と公然に主張する共有ソフトが流通している
- これなどは典型的なFUDであり、共産主義を標榜する人々が作成したソフトウェアを流通させる際にフリーソフトウェアであることを保証するライセンスを採用することをもって採用されたライセンスが共産主義であるとするには飛躍が大きすぎます。共産主義者がほんの僅かなフリーソフトウェアを供給することを針小棒大に問題視するのであれば、大資本が参画し大量のコードをもってフリーソフトに貢献しているという現実は問題視しないのでしょうか?
>「コピーレフトのレフトは左翼だ」など、この種の意見も現実味を帯びつつある。
- 私が少なくない文章量を費やして記述した「フリーソフト運動の理念や個々のライセンスの具体的な条件などについて正しく理解しておらず、またその気もない人々によって興味本位に中途半端にその一部のみが取り上げられ的外れな批判にさらされている」といった論旨を全て削除し、代わりに削除された部分に書かれていた通りのものが書かれてしまうあたり、もはや確信犯と見なして良いということでしょうか。
>なお、日本の肯定派にはストールマンの初来日講演で司会を務めている池田信夫や山形浩生などがいる。
- 彼らが共産主義者であったとは初耳です。根拠があれば是非提示していただきたいところです。
上記引用部の改編者には上記の説明を全て滞りなく済ませてから本文の記述にあたることを要求します。また現在の度し難い記述はリバートしておきます。210.149.190.143 2006年9月27日 (水) 01:11 (UTC)
[編集] 南米における急進左派政権の社会主義国証明
ベネズエラやボリビアでは国有化が始まっており、社会主義といえるだろう。 ベネズエラは大統領の任期を増やし、与党独裁を達成した。ボリビアのモラレス氏も憲法改正をし独裁国家にしようとしている。—以上の署名の無いコメントは、211.1.185.129(会話・履歴)氏によるものです。
>財産の国有化は魅力的な言葉だが、それ自体は方法に過ぎない。理想主義者の出した資本主義社会の究極の形。共産国の誕生は、「世界が同時に共産国にはならない。」と言う100年前の結論だ。—以上の署名の無いコメントは、218.251.102.7(会話・履歴)氏によるものです。
[編集] 再構成しました
とくに思想にかかわる記述を中心に大きく修正しました。初歩的な間違いが多かったためです。章立ても変えました。理由も書かずに元に戻そうとする人がいますが、具体的な点を指摘してくれないと改善できません。--Kazhik 2007年2月19日 (月) 14:20 (UTC)
学術的な見方をも抹消するのは論外です。初歩的云々よりも過大な修正です。あなた一人の個人的見解だけでここまで変えるのはいかがかと。--219.108.14.30 2007年2月20日 (火) 15:30 (UTC)
ですから、具体的な箇所を指摘してくれと言っているのです。--Kazhik 2007年2月20日 (火) 21:27 (UTC)
- あまりにも多岐に渡っているんですが、まずは「共産主義とは財産の共有を目指す思想」と要約してしまっていいのかどうか説明をお願いします。--Powership 2007年2月22日 (木) 04:03 (UTC)
- 私の修正前には生産手段の社会的所有や「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原則によって共産主義が説明されていました。これはマルクスやエンゲルスの共産主義論の説明です。それ以外の共産主義思想を考慮するならもっと曖昧に「財産の共有」と言っておくのが適切だと思います。ついでに言えば、マルクスやエンゲルス以前にも社会主義と共産主義の区別がなかったかのような記述は誤解を招くものですし、レーニンの「共産主義とはソビエト権力プラス電化だ」という言葉を当時のソ連の状況から切り離して引用するのもおかしいので、削除しました。--Kazhik 2007年2月22日 (木) 12:57 (UTC)
- それなら「マルクス・エンゲルスによる共産主義」とそれ以外を分けて説明すれば済むことだと思います。また、マルクスの説明が「財産の共有を目指す思想」に当てはまらないのであれば、マルクスによる説明はこの「要約」から除外されることを説明しておかなければ虚偽の記述になると思いますが。 -- NiKe 2007年2月26日 (月) 06:28 (UTC)
- マルクスとエンゲルスの共産主義も「財産の共有を目指す思想」と言って間違いないと思います。彼らの場合、「財産」が狭く厳密に生産手段と規定されているということです。彼ら以外の共産主義思想については、私の修正では完全に抜けています。修正前の記述は間違っていたので削除しましたが、改めて記述すべきなのは確かです。--Kazhik 2007年2月26日 (月) 12:54 (UTC)
- それなら「マルクス・エンゲルスによる共産主義」とそれ以外を分けて説明すれば済むことだと思います。また、マルクスの説明が「財産の共有を目指す思想」に当てはまらないのであれば、マルクスによる説明はこの「要約」から除外されることを説明しておかなければ虚偽の記述になると思いますが。 -- NiKe 2007年2月26日 (月) 06:28 (UTC)
- 私の修正前には生産手段の社会的所有や「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原則によって共産主義が説明されていました。これはマルクスやエンゲルスの共産主義論の説明です。それ以外の共産主義思想を考慮するならもっと曖昧に「財産の共有」と言っておくのが適切だと思います。ついでに言えば、マルクスやエンゲルス以前にも社会主義と共産主義の区別がなかったかのような記述は誤解を招くものですし、レーニンの「共産主義とはソビエト権力プラス電化だ」という言葉を当時のソ連の状況から切り離して引用するのもおかしいので、削除しました。--Kazhik 2007年2月22日 (木) 12:57 (UTC)
人物の項についてですが、ナセルは外すべきではないですか?
[編集] 共産党宣言は誰のもの?
今日(2007/04/06)の編集で、「共産党宣言」はマルクスとエンゲルスの共著ではなく共産主義者同盟の綱領的文書だ、という趣旨の加筆がなされました。間違っているとは言えませんが、説明としてわかりにくくなってしまったように思います。「共産党宣言」はマルクスとエンゲルスが共産主義者同盟の綱領的文書として書いたものです。その後彼らが「共産党宣言」に盛りこまれた原則を否定したことはありません(1872年ドイツ語版序文を参照)。--Kazhik 2007年4月6日 (金) 12:31 (UTC)