兼田敏
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兼田敏(かねだびん、1935年9月9日 - 2002年5月19日)は、日本の作曲家。日本における吹奏楽の普及に尽力。
[編集] 略歴
旧満洲新京生まれ。引き上げ後京都に住み、中学校時代にコルネット奏者となる。京都市立堀川高等学校音楽課程を経て、東京藝術大学作曲科に入学。在学中下総皖一に師事。 岐阜大学教授、愛知県立芸術大学教授、岐阜大学大学院教授となり、居を岐阜市に構え、岐阜県にて音楽活動の中心とする。 日本管打・吹奏楽学会顧問、日本バンドクリニック委員会代表、ナゴヤ・ディレクターズバンド指揮者を歴任。
また保科洋(東京藝大での同期)と交流が深く、吹奏楽文化の普及をともにリーダーシップをとっていた。 また保科は兼田の音楽葬の際、実行委員長を務めた。
[編集] 主な作品
- バンドのための楽章「若人の歌」(全日本吹奏楽コンクール1964年度課題曲)
- 吹奏楽のための「ディヴェルティメント」(全日本吹奏楽コンクール1967年度課題曲)
- 吹奏楽のための寓話(全日本吹奏楽コンクール1973年度課題曲)
- 嗚呼!(全日本吹奏楽コンクール1986年度課題曲)
- 吹奏楽のための「パッサカリア」
- 吹奏楽のためのバラードI~V
- 吹奏楽のための「交響的音頭」
- 陽気な高校生
など多数
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