内藤清政
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内藤 清政(ないとう きよまさ、慶長8年(1603年) - 元和9年6月26日(1623年7月23日))は、安房勝山藩の初代藩主。内藤清成の次男。官位は従五位下。修理亮。
幼名は萬千代。萬二郎。1617年、兄の内藤清次が死去したため、その後を継いだ。このとき、叙任している。1622年、安房国内に加増を受けて3万石の大名となるが、翌年6月26日に21歳の若さで死去。嗣子がなく、弟の内藤正勝も幼少だったことから、内藤氏は一時的に改易された。墓所:東京都台東区蔵前の西福寺。
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