冠位十二階
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冠位十二階(かんいじゅうにかい)は、推古11年(603年)12月5日に定められた位階制度。
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[編集] 概要
『日本書紀』では「十二月 戊辰朔壬申 始行冠位 大德 小德 大仁 小仁 大禮 小禮 大信 小信 大義 小義 大智 小智 并十二階 並以當色絁縫之 頂撮總如囊 而著縁焉 唯元日著髻華 髻華 此云 十二年春正月 戊戌朔 始賜冠位於諸臣 各有差」と記述されている。この記述には主語はないが、同じ書紀の推古元年四月に摂政を任じられたと記載されている聖徳太子の事蹟と考えられている。
『隋書 卷81 列傳第46 東夷』には、(倭王は「姓阿毎 字多利思比孤號阿輩雞彌」、なお『新唐書』では「用明 亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始與中國通」とある)、「内官有十二等 一曰大德 次小德 次大仁 次小仁 次大義 次小義 次大禮 次小禮 次大智 次小智 次大信 次小信 員無定數」とあり隋にも知られていた。
豪族を序列化し、また氏や姓にとらわれることなく優秀な人材を登用することを目指した。また官位の任命を天皇が行うことにより、豪族に対する天皇の権威向上を図った。
冠位十二階の制度は、第一回遣隋使を推古8年(600年)に派遣した時の教訓から編み出されたものであった。7世紀の東アジア情勢を考えると、倭国にとって隋との国交を開いておくことが是非必要であった。 冠位十二階制は高句麗・百済を通して北朝・南朝両方のものが伝わったとされている。
冠位十二階制は、日本で初めてつくられた冠位制であり、この後の諸冠位制を経て、様々な紆余曲折を経て律令位階制へ移行していった。
[編集] 位階と冠の色
『日本書紀』の603年に冠位十二階を定めたときの記述には、12の位階の名前は書かれているが、それぞれの位階に対応する色の名前が書かれていない。ある考証によると、12の位階の冠の色は次のようなものであった可能性が高いと推定されるが、断定はできない。地位の高い位階から順に、位階の名前と冠の色を次に列挙する。
- 大徳 (だいとく)(濃紫)
- 小徳 (しょうとく)(薄紫)
- 大仁 (だいにん)(濃青)
- 小仁 (しょうにん)(薄青)
- 大礼 (だいらい)(濃赤)
- 小礼 (しょうらい)(薄赤)
- 大信 (だいしん)(濃黄)
- 小信 (しょうしん)(薄黄)
- 大義 (だいぎ)(濃白)
- 小義 (しょうぎ)(薄白)
- 大智 (だいち)(濃黒)
- 小智 (しょうち)(薄黒)
古代の青は紫に近い色である。
(但し位階の大と小の色を、色の濃度の違いで区別するように制度が変わったのは、冠位十二階を定めたときよりも後である。)
[編集] 冠位のことを行う
『日本書紀』推古十一年十二月条
十二月戊辰(ぼしん)朔壬申(じんしん)、始めて冠位のことを行う。大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、併せて十二階、並びに当色の絁(あしぎぬ)を以てこれを縫う。頂(いただき)は撮(と)り総(すべ)て嚢(のう)の如くにして、縁(もとはり)を着く。唯だ元日には髻華(うず)を著す。「髻華、此をば宇孺(うず)という」
十二年春正月戊戌(ぼじゅつ)、始めて冠位を諸臣に賜うこと各差(おのおのしな)あり。
ここでは、具体的な色を書いていない。色の深浅の区別は、養老令からである。「当色」は、位階相当の色として、五行思想に基づいた五常の徳目(仁・礼・信・義・智)の青・赤・黄・白・黒が考えられる。徳は、五常の徳目を統べる意があることから、漢代以降、帝王の色として尊ばれた「紫」を充てた推測できる(『漢書』天文志)。
「白」の濃淡はどうして見分けるのだろうかと疑問視されている。 冠位十二階の衣服については、高松塚古墳壁画の人物群像が参考になる。この壁画の人物図は、およそ7世紀後期から8世紀前期の風俗を伝えるものと推測されている。
[編集] 冠位制の変遷
701年(大宝元)に官位制に切り替わる間に冠位制は何度か改訂が行われている。
最初の大幅な改訂は、647年(大化3)の冠位十三階である。 649年(大化5年)冠位十九階に改められている(冠位十九階は、冠位十三階を基本とし、中間の冠位を細かく分けたものである。
664年(天智3)には更に細分化された、冠位二十六階に改訂されている。これらは、冠位十二階に組み込まれなかった大臣(おおおみ)などを冠位制の序列に組み込もうとした試みだと考えられる。しかしながら大臣は依然として旧冠を使用していたと言われている。
685年(天武14)諸王以上十二階、諸臣四十八階が導入されている。 親王や諸王も冠位制の中に組み込んだ。
701年(大宝元)に、冠位制は廃止され、律令官位制に移行している。基本となっているのは冠位四十八階であるが、名称を正一位、従三位などとわかりやすく改訂し、四十八階を三十階に減らしている。